こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

おいかけっこの生態学 キスジベッコウと草むらのオニグモたち(第364号)

すれちがいの生態学 キオビベッコウと小道の虫たち(第388号)』の主人公が、キオビベッコウなら、こちらはキスジベッコウ(キスジクモバチ)という別のクモバチのなかまだ。

その名の通り、こちらもクモ狩りをするハチ。獲物となるのはコガネグモ科のクモだ。本書は「キスジベッコウが河原(簾舞)のどこでどんなオニグモに出会い、どんなふうに狩っているのか。そして、それぞれのハチがどんな一生をおくっているのか」をテーマに書かれている。

観察の取っ掛かりはこうだ。 

 7月下旬のお昼すぎ、河原はまぶしい夏の光でいっぱいだった。ぼくは、キスジベッコウに出会えないまま、もう数時間も、双眼鏡を片手に河原をうろうろしていた。  

研究者というのは、体力がないと続かないものだとつくづく思う。集中力、思考力、制御力(気長に待つ力)の源はみな体力だ。とくに自然相手は、待つ力を相当に要求される。「ダーウィンが来た!」30分間の背後には、取材時間がどのくらい積み重なっていることだろう。「残念ながら今回は撮れませんでした」というナレーションも、宜なるかなという感じだ。

この日は遠藤氏にとって幸いに、ハチにとっては不幸にも、一匹のキスジベッコウのメスが捕まった。左翅に白いペイントを二つ施された後、ホワイトホワイトをもじった「ホアンホアン(ある年代以上の人はパンダを思い出すだろう)」と名付けられ、ふたたび野に放たれる。

キスジベッコウの成虫は、クモを食べるわけではない。エネルギー源は、おもに花の蜜だ。クモを食べて育つのは幼虫だけ。獲物のクモは、人間でいえば母乳とか離乳食代わり、したがって狩りをするのはメスだけということになる。

クモをよく見ると、おなかの右上に赤いペイントマーカーの点がついていた。心のなかで「やった!」と声をあげていた。ぼくはハチだけでなく、この河原で網を張っているアカオニグモにも、印をつけていた。ホアンホアンがつかまえてきたクモは、この日までに印をつけた40匹のアカオニグモのうちの32番であることが、印から読みとれた。

アカオニグモ40匹!彼らの体長は大きくても20ミリ程度。幼児に名札をつけるのとは訳が違う。狭いとは思えない範囲内で片っ端からクモを捕まえ、個体識別できる印をつけていく。気が遠くなりそうな作業だ。

そればかりでない。キスジベッコウが作った巣穴にも目印が必要なのだ。「ハチたちは、穴を掘る場所、時間に強くこだわっていた」。同じような場所や時間を目安にすればいいとはいえ、巣の完成は日も暮れた20時や21時。赤いセロファンで覆った懐中電灯片手に、夜の河原での作業になる。

こうした地道な作業と観察の結果、1年目に記録できたのは「どのハチがどんな種類のオニグモを狩ってくるか」ということ。河原にいる大型のオニグモのなかまは、どれもキスジベッコウに狩られていたが、それぞれのハチで「好み」のような傾向が見られたという。

アカオニグモばかりのハチ、キバナオニグモ専門の個体……2種類以上狩るハチであっても、違う種類のクモを日替わりで狩る例は少なかった。単なる偶然によるかたよりか?歴とした好みがあるのか?それは、親から伝わったものなのか?

答えを探るには、クモ狩りの様子を観察する必要がある。飛び回るベッコウバチの狩りの観察は、あのファーブルさえ成功したとは言いがたいものだ。謎を解くためには、実験室でクモ狩りさせるのではなく、河原での観察が不可欠となる。

そこで作者は、観察の季節が始まる前に3つの作戦を立てる。どれもこれも、気力体力集中力を要する、読んでいるだけでクラクラしてくる作戦だ。

作戦1●オニグモ草むら地図は、河原で網を張っているクモをみつけて、かたっぱしからマークをつけるというもの。獲物になりやすい3種にしぼる。マーカーで印を付けつつ、クモのいた場所を地図に記録。ちなみに、フィールドの広さはたて300メートル、よこ400メートルほど。けっこう広い……。

作戦2●実況中継とテープレコーダー。ハチが巣作りする砂地を中心にパトロール。脚立による監視を続け、ハチを見つけたら、テープレコーダー片手に「実況中継をしながらとにかく全速力で追いかけて草むらをつきすすむ。ノイバラやニセアカシアのとげであちこち傷だらけになるがかまってはいられない」。

作戦3●世代をつなぐ虫とり網は、河原のキスジベッコウ一族の家系調査だ。さなぎが羽化していない去年のキスジベッコウの巣の上に目の細かい網をかぶせる。こうして仕掛けたあちこちの網(巣穴)を毎日見回り、羽化しているハチをつかまえ、マークをつけて放す。羽化時から観察すれば、ハチの一生の記録がとれる。巣の持ち主(母親)は、記録でわかっているので、母娘でどんな共通点や違いがあるかわかるという案配だ。

これら作戦による観察によって、どんな大河ドラマを見ることができたのか?どんな結果がわかったのか?ぜひ読んで確認してみてほしい。10年間の観察のエッセンスが、40ページで読めるのだ。なんと贅沢な絵本だろう。

「作者のことば」では、こんなことが書かれている。 

 5年まえ、前作をつくるときに、この絵本の舞台となっている北海道のフィールドにアカオニグモの取材にでかけました。河原を訪れたのは、ほとんど20年ぶり。そこで見た河原のさま変わりは衝撃的でした。木々が鬱蒼としげり、ササが一面を密におおって、足を踏み入れることさえままなりません。ホアンホアンの丘は言うに及ばず、ハチが巣をつくっていた場所もほとんどわからなくなっています。これでは、キスジベッコウはやっていけません。(略)

 現実には、キスジベッコウは、人間による自然の改変、あるいは人間が速めた自然の変化のスピードに追いつけず、日本の各地で幻のハチとなりつつあります。私も北海道を離れてから、あちこちを探しましたが、見つかりませんでした。今回の絵本の取材でも、キスジベッコウがいるという河原で、あちこちの砂地を見てまわりましたが、やはり会うことはできませんでした。いったい、キスジベッコウはどこにいってしまったのでしょうか。もう一度、あのこだわり屋で、でも、しなやかなハチたちに出会いたいものです。