こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

ウミガメは広い海をゆく(第174号)

先日、ウミガメ放流会についてのマンガを見た。

『ウミガメ放流会』が子ガメの命を奪う?実態を描いた漫画に考えさせられる

実は小笠原に行った時(『カタツムリ 小笠原へ(第366号)』)、私たちも「ウミガメの放流」イベントを見に行っている。

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生後1年くらいのアオウミガメ

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海へ向かう様子

このイベントは、マンガでも問題とされている「日中の放流」だ。一瞬、え!実はニコニコ微笑んで見てるようなイベントじゃなかったってことか!?と思ったが、この時放流されたのは、産まれたばかりの子ガメではなく、生後1年ほど経った個体。ヘッドスターティングといって、ある程度大きく育ててから放流するものだ。

もっとも日本ウミガメ協議会では、このヘッドスターティングの問題点も指摘されている。

孵化の支援について

野生個体と異なった回遊行動が見られること、遺伝子撹乱問題もあり、「ヘッドスタート個体の放流が、資源量回復や種の保全にとって有効であるかは未だ疑問」と疑義を呈している。

ただ、父島の大村海岸の状況では、自然に任せていてはどんどん稚ガメが死ぬばかり。人間活動の影響を避けられない。問題点はあれど「卵の移植と人工孵化、子ガメの放流会」が必要と言わざるを得ないのかもしれない。

 

小笠原にとって、ウミガメは重要な資源の一つであることは確かだ。アオウミガメは、捕獲制限を設けつつ食用にも供されている。だからこそ、世界遺産に登録されるずっと以前の1982年に小笠原海洋センターが設立されており、保護研究が続けられてきた。今号の『ウミガメは広い海をゆく』も1999年に刊行されているが、この海洋センターの取材協力で作られている。

ちなみに、私たちも父島の島寿司でウミガメの寿司を食べたが、クセもなく食べやすい味だった。子供はもっと食べたがっていて、島から帰った後も、ときどきウミガメが食べたいと言い出すほど。島のおみやげ屋さんには、ウミガメの甲羅などを使った小物類が売っていて、話を聞くと、漁期にまとめて捕った後、次々に捌いていくそうだ。解体のアルバイトに出ると、身体中ウミガメのにおいが染み付いてなかなか取れないのだと話していた。

 

マンガに興味をひかれて、かわさきしゅんいち氏の『うみがめぐり』も読んでみた。「子供向けウミガメの絵本」としては『ウミガメものがたり』の方がわかりやすいのではないかなーと思った。生態系を描いているのはわかるが、ウミガメの子はただの狂言回しになってしまっていて、主人公がウミガメである必要を感じられないのだ。ウミガメだけが海の、生態系の主人公ではないよ、と言いたかったのかもしれないが、だとすれば、巻末でウミガメについてだけ詳しく解説する必然性もないのではないか?

『うみがめぐり』も『ウミガメものがたり』も、子ガメたちはいろいろな生きものに食べられてしまい、無事大人になれるのはほんの一握りであることが描かれている。『ウミガメは広い海をゆく』では、そもそも孵化の段階から、こんな過酷な運命にさらされていることが書かれている。

卵は、地面から70cmくらいの深さにうまっている。卵からかえった子ガメたちは、1匹や2匹の力では、砂の上に出られないので、みんなが出そろうのをまって動きだす。くずれおちてくる砂を下にかきおとしながら、だんだんはい上がる。砂にうまって動けなくなった子ガメや、みんなからおくれた子ガメは、とりのこされて死んでしまう。 

また、産まれたばかりの子ガメの観察で、

子ガメたちは、いっせいに砂からはいだして海へ向かっていきます。母ガメとちがって、子ガメはものすごく急いでいます。走っている感じです。

と描写されているが、これはかわさき氏のマンガにも出てくる「フレンジー」という状態であることがよくわかる。本号の著者、吉野雄輔氏はいっしょに泳いでみたらしいが、子ガメたちはなんと吉野氏より速く泳いで沖へ行ってしまったそうだ。

 

「作者のことば」に書かれるのは、小笠原の話でもウミガメの話でもなく、“ごくごく身近な自然に親しんでみよう”ということ。自然科学系の「ふしぎ」を手がける、多くの作者がいわれることだ。潮だまりや膝までの深さくらいの海、そんな手近にある海にもたくさんの生き物がいて、ウミガメがゆく広い海とつながっているのだ。「すぐに行けるような海岸や浅い海は、大きな大きな玉手箱の、入り口のようなもの」だと吉野氏は語っている。

 

吉野氏が、この本の取材で小笠原に行った当時は、32時間かかったと書かれている。初代おが丸に乗ったのだろう。私たちが乗った現おが丸はほぼ24時間なので、ずいぶんと短縮されたものだ。最近は「小笠原への空路、父島への飛行場案軸に」のようなニュースもある。島民の方にとって利便性向上は悲願と思うが、環境保全とどう両立させていくのか難しい問題を孕んでいる。

小笠原はいつまでも変わらないでほしい、ウミガメの保護や固有種の保全のためにも、飛行場の建設は慎重に判断するべきだ。と思ってしまうのは、所詮住まない私の、勝手な願いに過ぎないだろうか。