最近めっきり参加しなくなったが、以前よく行っていた里山イベントでは、椎茸の駒打ち体験もやっていた。切り出した間伐材を使っての作業だ。枝打ちをし適当な長さに伐り、作業場所まで運ぶ。木というのは案外重たいもので、短めの丸太でも腕にずっしり来る。涼しい時期でも汗だくだ。
作業台に据えたら、ドリルで穴をあける。どこでもランダムにあけていいわけではなく、等間隔に穴をあけた後、90度回転させ今度はその穴と穴のちょうどまん中のところを目指して穴をあけてゆく。そしてまた90度回転させて…というように作業すると、四方向互い違いに穴ができるというわけだ。そこへ種駒を差し込み、木槌で打ち込んでゆく。種駒は椎茸の軸みたいな感じで、これがキノコを生えさせるなど想像もつかない色かたちをしている。すでに椎茸が出ている榾木も見せてもらったが、種を植え付けてから1年以上経過しているのだという。手間もひまも時間もかかるのだ。道理で原木椎茸は高いものになるわけだ。
参考:きのこ栽培塾 ⁄ 本格的に原木栽培 ⁄ シイタケ原木栽培
その辺に生えている名も知らぬキノコだって、
菌糸は枯れ木や落ち葉を食べながら何年も何十年もいきつづけ、枝分かれしてのびていく。
じゅうぶんにふえた菌糸は植物が花をさかせるように、ある日とつぜん、きのこをつくる。(『ほら、きのこが…』より)
と書かれるように、一朝一夕で出来上がっているものではないのだ。そして、
どこででもいきられるわけじゃない。
あつすぎもせず、さむすぎもしない。
たべものもある、しめりけもある。
そんな場所にたどりついた胞子だけが、菌糸をのばしきのこをつくる。
(『ほら、きのこが…』より)
と、どこでもあるように見えて、実は条件の整ったところでしか生えないことがわかる。
胞子たちが旅立ち、相応しいすみかを見つけ、ゆっくりじっくり菌糸を成長させて出来上がったキノコ。農産物の直売所で買ったり、山の人からいただいたりで、野生のキノコを食べたことがあるが、やはり美味だった。もちろん採る人が、安全でおいしいキノコを選んでくれているからこその話だ。最近でもあったが、自分で採ったニセクロハツを食べて死亡した桑名市の男性の例など、食中毒の話は枚挙にいとまがない。
毒キノコ「ニセクロハツ」食べて重体の男性死亡:朝日新聞デジタル
おまけに今シーズンはキノコの当たり年らしく、入山中の事故も多発している。長野県内では今日までに11人が死亡という異例の事態になっている。山の恵みをいただくには、それなりのリスクを覚悟しなければならないのだ。
しかし『ほら、きのこが… 』には、食用という視点は一切出てこない。それどころか、キノコの固有名詞さえほとんど明記されていない。巻末にひっそりと書かれているだけだ。もちろん、識別をし名前を知ることは、食べるという目的には欠かせないことだし、学術的な意味でも重要なことだ。しかし、この本の目的はそこにはない。キノコというものの素晴らしさ、美しさ、生き様を知ってもらうことなのだ。写真はどれもシンプルながら、キノコがいちばん引き立つように撮られている。どのページのキノコも生き生きとしていて、まるで主役としてステージで踊っているようだ。

- 作者: 越智典子,伊沢正名
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 2000/05/10
- メディア: 単行本
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