『ヒグマのくる川』の舞台となるのは、知床半島のとある川。
冒頭の地図と鳥瞰絵図を見て、ひょっとしたらと思ったのだが、
知床半島のなかほどに、サケをとる漁師たちの番屋があり、1本の林道がつづいています。
この番屋の手まえには橋があり、小さな川がながれています。
知床の川からながれだすこの小さな川の水は、橋のすぐ下でオホーツク海にながれこんでいます。(本文より)
この番屋とは、大瀬さんの番屋(『漁師とヒグマ(第287号)』)ではないだろうか。小さな川というのは、知床の地図と照らし合わせるとテッパンベツ川かなあと思って、福音館の本号紹介ページを見てみると、そのとおりテッパンベツと書いてある。
『漁師とヒグマ』も、知床とヒグマを題材とした話だったが、両者の描き方は大きく異なっている。『漁師とヒグマ』では、人間の営みも知床の自然の一部として描かれていたが、『ヒグマのくる川』で主役となるのは人間以外の生きものたち。どちらかというと、人間は、自然(生態系)を破壊する闖入者としてとらえられているように見える。
そのヒグマも、今ではなかなか見ることができなくなりました。それは、ヒグマが生活していた山野が、人間にどんどんこわされ、そのうえ、えさとなる魚もうばわれてしまったからです。(本文より)
両者のスタンスの違いには、時代背景が関わっていると思われる。
本号が出版されたのは1989年。1989年といえば『漁師とヒグマ』の大瀬さんの番屋で、ヒグマの駆除が中止された年。本号の取材時はまだまだ知床のみならず、道内各地でヒグマの駆除が行われていたはずだ。調べてみると、1966年からは、生息数を積極的に減少させる目的で「春グマ駆除」が始められていて、結果として地域によってはヒグマの絶滅が心配される状況にまで至っていたようだ。1990年になってようやく中止された*1というくらいだから、「今ではなかなか見ることができなくなりました」と書かれるのもうなずける話だ。
駆除の問題だけではない。
この川には水のながれをさえぎるものは、なにもつくられていません。
今ではめずらしい、人の手がくわえられていない、「自然の川」なのです。(本文より)
水の流れを遮るもの、人の手が加えられた川、というのはすなわち護岸やダムのこと。 福音館の本号紹介ページにも、
護岸やダムがないのはもちろん、人もめったにはいらない知床の川
という文言がある。知床半島には治山や砂防を目的とした数多くのダムが設置されており、1960年代初頭に始まったのち、1980年代にはもっとも盛んに作られていたという*2。テッパンベツのように自然のままの川の方が少なかったのだ。これらのダムが生態系に悪影響を及ぼしていることは、専門家によって指摘されるようになり、動物写真の撮影を生業とする作者も同じく憂慮していただろうことは想像に難くない。
もっとも本書で描こうとしているのは、ヒグマの話そのものではない。だから駆除のことは書かれていないし、人間が自然環境を破壊しているという類の話も、上記で引用した一文にあるのみだ。 描きたいのはあくまで自然の川の素晴らしさであり、その川をめぐる生き物たちがお互いに関わり合っている姿だ。
「作者のことば」では、北海道を訪れる人は自然が豊かだと感じることだろうが、富良野をはじめ根釧原野やオホーツクの地も、原野に見えるようで実は人工的な緑、開墾された大地であり、自然そのものではないと語られている。広い北海道でさえ、テッパンベツ川のような、さまざまな生き物たちがお互いに関わりあって成り立っている、本物の自然が見られるところはわずかしか残っていないと言うのだ。
著者である稗田氏は「動物写真家」であるけれども、なぜかこの本に写真は一枚もない。動物画家の夏目義一氏が絵をつけている。稗田氏自ら描いた写真絵本は『カジカおじさんの川語り (たくさんのふしぎ傑作集) (第170号) 』で読むことができる。
本号でも、
カラフトマスが海でプランクトンや小魚などをたくさん食べ、体に栄養をたくわえてきて、それをヒグマたちにわかちあたえていると、考えることもできるのです。生き物たちがつぎつぎに、食べ物をうけわたししているのです。(本文より)
という文章があるが、『カジカおじさん』でもまさに同様のことが書かれている。川をめぐる生き物たち同士の関わりというのは、著者を魅了してやまないテーマなのだろう。
『ヒグマのくる川』の「作者のことば」では、「わずかしか残っていない本物の自然が残る知床半島を、ぜひ守っていかなければならないと思う」と語っている。その後、世界遺産に登録された知床。世界遺産への登録は、本物の自然を守ることにつながっているだろうか。