こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

カリブーをさがす旅(第347号)

生きものの“群れ”というのは、なにかこう感情をかき立てるものがあるらしい。

昨年冬、宮城県伊豆沼にガンの飛び立ちを見に行ったのだが、夜明け前の薄暗い中、大音量で鳴き交わす声たるや、どれだけの数がいるのだろうと空恐ろしくなるほどだった。しかし本番はこれから。少しずつ明るくなってきたと思ったら、おびただしい数のガンたちが一斉に飛び立ち始めたのだ。一羽だけなら大したことはない羽音も、これだけ集まればすごい音になる。ごごごおっと形容しがたい轟音がわき上がったと思えば、空を黒く埋め尽くしたガンたちが、頭上をつぎつぎと飛び去ってゆく。ぞわぞわっとした感覚が走るのは、戦いは数だよじゃないけど、群れが見せつけてくるパワーへの恐れかもしれない。子供は夢中でシャッターを切っていたが、あれは写真にしたところで伝わるものではない。ただ呆然と眺めるほかはない光景だ。

以前紹介した『オルカの夏(第232号)』も、シャチの大集結”スーパーポッド”を待ちわびるものだった。この『カリブーをさがす旅』も、カリブー単体ではなく、“群れ”の大移動を追って旅する話だ。本書によると、アラスカには70万頭以上のカリブーがすんでいて、春がくると、冬を過ごしていた場所からノーススロープという土地めざして大移動を始めるらしい。小さな群れが、北へ北へと向かううちにしだいに集まり、最後には何万頭もの大群になるという。

僕は、このカリブーの大移動を見たくてたまらなくなりました。そして、ある年の5月、アラスカへとむかいました。

手始めにむかったのはアナクトブックパスというエスキモーイヌピアック)の村。アナクトブックとはエスキモーの言葉で「カリブーのふん」という意味で、パスは英語の「峠」。毎年、村のそばをカリブーの大群が通るということで、さぞかし落とし物も多いのだろう。

しかし、村周辺で見かけたのは数頭の群れのみ。周辺といってもけっこう広い範囲だと思うのだが、それでも「広いアラスカの中では、小さな点のようなものに過ぎません」。

村を離れ、今度はダルトンハイウェイ沿いを探しまわる。そこでも見つけられたのは小さな群れだけ。ついに空からの捜索に乗り出すことになる。ノーススロープにあるカビックキャンプを基地に、ブッシュパイロット・湯口イサオさんの操縦で、「北海道全域をぐるっと見てまわる」範囲を飛び回る。ちなみにカビックキャンプは、スーザンという女性がたった一人で運営しており、訪れる人がない真冬の間もずっとここで生活しているのだそうだ。湯口イサオ氏は、自衛隊の戦闘機乗りから転じた人で、きっかけはアラスカ演習での飛行*1というのだから、アラスカの大地というのは、人を惹きつけて止まない何かがあるのだろう。

だがしかし。

 カピックに来て7日間がたちましたが、まだ大群には出会えません。きのう群のいた場所を飛んでみても、一日たつとあたり一面、かげも形も見えないことがあたりまえのカリブーは、「ツンドラのゴースト(幽霊)」とよばれているとスーザンが教えてくれました。

 そのくらい、カリブーの群に出会うのはむずかしいことなのです。

いったん日本に帰国して、7月。

カリブーの大きな群れを目撃したという情報を得た著者は、目撃地点まで急行する。果たして、そこには待ち望んていた光景が広がっていた。36〜37ページにかけ見開きいっぱいに写されたツンドラの大地。黄金色にかがやく大地に無数の点がぱあっと散らばっている。ざっと数千から1万くらいの群れなのだと思うが、ちょっと大きめの点にしか見えないところが、ツンドラのスケールの大きさを物語っている。地上からも撮影を試みようと降り立ったものの、追えども追えどもカリブーたちに近づくことはできない。重い機材を背負って走る人間など、カリブーにとってはお話にもならない存在なのだ。

本号のメインはもちろんカリブーだけれど、14ページあまりにわたって描かれる、エスキモーの人たちの生活ぶりも印象的だ。ずっとずっと昔から、カリブーのめぐみに助けられて生きてきたと語るローダおばあさん(86歳)。アルゴとよばれる8輪駆動車(水陸両用車ARGO | ARGOJAPAN)で厳しい大地を進みカリブー狩りに出かけていくさまは、伝統のくらしと現代の利器が融合しているようで面白い。仕留めた獲物を力強くしかも軽々と捌いていく様子は、まるでカリブーと踊っているかのようだという。本号でぎこちないナイフ捌きを見せていた14歳のマークも、今ではきっと立派に“踊って”いることだろう。

北極海を目指す大群「カリブー」 | SANYO CHEMICAL MAGAZINE