人類さいしょの宇宙飛行士であるソ連(ロシア)のユーリ・ガガーリンは、1961年に宇宙船ボストークから宇宙にうかぶ地球を見たとき、「地球がよく見える。うつくしい。地球は青い」という、ゆうめいなことばを地上におくってきた。
地球が青く見えるのは、表面にひろがる広大な海のおかげだ。
『飛びたかった人たち (たくさんのふしぎ傑作集) (第66号)』が空へ挑んだのと同じく、深い海の底へ旅することを目指した人たちもいた。
ちょっとなら飛べる。ちょっとなら潜れる。昔から人は、息を止めて水中へ潜り、魚や貝、海綿、サンゴ、真珠などのめぐみを得てきた。浅いところなら、海のなかの様子も、どんな生きものがすんでいるかも知っていたのだ。
だが、深海となれば話は別だ。昔の人にとって海のなかは夢の世界だった。
13世記、フランスでかかれたアレキサンダー大王の海中探検の絵。4世紀の絵には、空気ぶくろを持ったダイバーが水の中を歩いている様子が描かれる。ダ・ヴィンチはじめ多くの発明家が、水中で活動するためのアイディアを思いついたが、どれもこれも(おそらく)夢物語にしか過ぎなかった。
立ちはだかるのは水圧の壁。
人間は水圧で圧迫されると、肺の力では呼吸できなくなるけれども、まわりの水圧とおなじ圧力にした空気なら呼吸することができる。だから水の中で呼吸するためには、もぐっている深さの圧力とおなじ圧力にした空気をおくってもらうひつようがある。
長時間の水中滞在が現実のものとなったのは、17世紀、潜水ベルが実用化されてからだった。エドモンド・ハレーは、水中での空気補給方法を発明し、深度20メートル・1時間半の潜水を成功させた。ハレーが宇宙へ目を向けたばかりでなく、水中へも関心を寄せていたのは、興味深いことである。
本書で描かれた、潜水ベルを使う様子、その後発明が繰り返された潜水服の数々を見ると、宇宙船や宇宙服と見まごうばかりだ。
夢の世界だった海のなか。潜水技術の発達でそのヴェールがはがされていく中で、本格的な科学的探検航海に挑んだのがチャレンジャー号だ。成果はめざましく、海洋学という新しい学問を生み出すことにつながった。ちなみに、悲劇的な最期を遂げたスペースシャトル・チャレンジャーは、その名をこのチャレンジャー号から取っている。
本書でも、チャレンジャー号を境に、一気に世界が広がっていく。
それまで水中の一部をかき回してるだけだったようなものが、22〜23ページでは世界地図が広げられ、各地の海を駆け巡ったチャレンジャー号の、110,000キロメートルにおよぶ航路が引かれている。24〜25ページは、縦見開きをいっぱいに使い、海抜0メートルから深海11,000メートルまで海のようすがグッと掘り下げて描かれている。
より遠く、より深いところへ。驚くべきは、バチスカーフのトリエステ号だ。この潜水艇は、人を乗せて、なんとマリアナ海溝、深度約10,911メートルの海底に到達することに成功したのだ。ときに1960年、私が生まれてもいない頃の話である。バチスカーフを発明したのはスイス人のオーギュスト・ピカール、建造されたのはトリエステ(現在はイタリアの一部)、買い上げて運用をおこなったのはアメリカ海軍という、なんとも国際的な事業だ。『飛びたかった人たち』で、処女飛行に臨んだ人と同じく、トリエステ号に搭乗したジャック(ピカールの息子)とウォルシュ(海軍中尉)*1も勇気ある人びとの一員となった。その後有人で同じ深度に達するまで、実に52年、2012年の「ディープシーチャレンジャー」を待たなければならない。
オーギュスト・ピカールの目もやはり、宇宙へ向けられていた。そもそもバチスカーフは、自ら設計した気球を応用してつくられたものなのだ。宇宙線やオゾンを研究するために作った気球に自ら乗り込み、世界初、気球による成層圏到達に成功している。オーギュストも「飛びたかった人」なのだ*2。
もう一つ革命的な発明が出現した。ジャック=イヴ・クストーによる「アクアラング」だ。1943年から市販されて世界中に広まった、この水中呼吸装置のおかげで、ひとは潜水服や潜水艇の檻を抜け出し、自由に海中を探索できるようになったのだ。
クストーは世界ではじめての海底居住実験も手がけることになった。プレコンティナン計画である。その後も各国でさまざまな計画と実験がおこなわれてきた*3が、継続して運用されているものはほとんどない。強いていえば「NASA極限環境ミッション運用」だろうか。海中生活が目的ではなく、宇宙へいくための、宇宙飛行士の訓練の一環として運営されているのがなんとも皮肉なことである。
大西宇宙飛行士のNEEMO日記:JAXAの宇宙飛行士 - 宇宙ステーション・きぼう広報・情報センター - JAXA
しかし、先日見た「地球ドラマチック」では、擬似宇宙としてではなく、海中調査そのものを目的とした、水中カプセルの実用化に挑む話が紹介されていた。
「水中カプセルの挑戦!ポリネシアの海洋大調査」 - 地球ドラマチック - NHK
南太平洋ポリネシアのモーレア島を舞台に、独自開発した水中カプセルで、水深20メートルに3日間滞在するというもの。「Under The Pole」を主宰するギラン・バルドーによるプロジェクトだ。ちなみにギランの、公私共にパートナーであるエマニュエルは、6歳の時クストーの海中の家を見て以来、海中生活に憧れてきたという。
番組によると、かつてさまざまな計画と実験がおこなわれていた、水中居住実験が頓挫したのは、理由があるという。
費用、環境への影響、操作の複雑さ、だ。水中カプセルは、その三点をクリアするものになるのだという。
水中カプセルの目的は、長時間海の中を観察するというものだ。だが、バイオロギング(『動物たちが教えてくれる 海の中のくらしかた(第389号)』)はじめ、ダイオウイカ調査*4でも活躍した、深海調査のための有人潜水艇「トライトン」など、海中の生きもの調査の技術は年々向上している。長時間海中に居続けるというリスクを冒さなくても、ほかの方法が考えられるのだ。
もちろん、長時間の観察でしかわからないことがあるのも確かだ*5。短時間のダイビングでは見えないこともあるし、ダイバーの動きが、生きものの自然な状態をさまたげてしまうこともある。警戒して逃げてしまったり、逆に興味を示して寄ってきたり。水中カプセルは、海の観察シェルターとして、画期的な役割を果たすことが期待される。
面白かったのは、水中カプセル滞在中、声が変わること。長時間、地上とおなじ空気を高気圧下で吸いつづけると害になるため、カプセル内ではヘリウム混合ガスが使われているのだ(飽和潜水)。番組の日本語吹き替えでも、きちんとヘリウムボイスに変えられていたのがシュールだった。
興味深かったのは、計15人の滞在者みな、強烈な夢を見ていること。中にはひどい悪夢に苛まされた人さえいたという。常にリスクにさらされている不安からなのか、はたまた地上の環境と異なることへの生理的反応なのか、果たしてどうなのだろう。
水中カプセルが本領を発揮するのは、夜明け前と日暮れ時だという。 この時間帯はダイバーによる観察の機会が少なく、科学者にとっても未知の領域だからだ。これまで何度も海に潜ってきた魚類研究者が、時間に縛られることなく、生きものの生活サイクルを余すところなく観察できるのは素晴らしい、と驚嘆していたのが印象的だった。夢をかなえた、前述のエマニュエルも、3日間の水中カプセル滞在は、15年間のダイビング経験をこえる学びがあったと語っている。
体験者は、一様に、夢のような時間だった、非現実的な経験だったと口にしているが、どんな感覚なのだろうか。ダイビングどころか、ろくすっぽ泳げない、水が怖い私にはとても体験する勇気はないが……。地上で眠っている時でさえ、溺れる夢を見るくらいだから、水中カプセルではどんな悪夢になるのだろうか。これから明かされていく海の生きものたちの生態を、安全な陸上でおとなしく待つだけにしておこう。
https://www.underthepole.com/programme-capsule/
*1:2020年6月、ウォルシュの息子ケリーも、父とおなじマリアナ海溝最深部に到達している。Mariana Trench: Don Walsh's son repeats historic ocean dive - BBC News
*2:オーギュストの息子、ジャック・ピカール - Wikipediaの項目を見ると、子のベルトラン、ジャンとジャネットのおじ夫婦、いとこのドンまでが気球乗りで、一族みんな「飛びたかった人」なのが面白い。
*3:日本でも「シートピア計画」があった。【大きな旅・小さな旅】人が海で暮らせる「海底ホテル」はいつ実用化されるか〔再掲〕|海の授業|後藤忠徳 - 幻冬舎plus
*4:NHKスペシャル シリーズ深海の巨大生物 伝説のイカ 宿命の闘い | NHK放送史(動画・記事)
*5:このプロジェクトに関わる中にはCRIOBEというフランスの研究機関がある。ポリネシアの海で白化が進むナンヨウミドリイシの研究に取り組んでいる。サンゴは海水温の影響を受けやすく、適温から少し上がっただけで白化現象が生じてしまう。これが長期間続くとサンゴは死滅してしまうのだ。サンゴ礁には多様な環境が作られ、多くの生物が生息している。サンゴの死滅は、生きもののくらしに大きな影響を与えるのだ。CRIOBEでは、環境変化に耐えうる“スーパーサンゴ”を作ることを目指し、サンゴの産卵を研究している。サンゴは無性生殖で殖える方法と、有性生殖で殖える方法がある(サンシャイン水族館 サンゴプロジェクト「サンゴの殖え方」)が、スーパーサンゴへの変化を促すためには、有性生殖である産卵を研究する必要があるのだ。海中での産卵行動を観察することはその一歩となる。