『つばさをもった恐竜族』……ふんふん、鳥のご先祖の話ですよね?だったら『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』をいっしょに読んでみたら捗るんじゃね?
と思って、川上先生の本を読み始めたところ。
初っ端、恐竜の分類でつまずく。鳥盤類?竜盤類って?角竜類だの堅頭竜類だのなんなのさ。なになにティラノは獣脚類だって?極め付きは「本書の主役の一人である鳥類は、獣脚類のなかから進化してきたと考えられている」。はあ〜!?いくら何でもスズメとティラノが一緒なわけなかろう!
ところで、鳥盤類や鳥脚類というグループには鳥という漢字が入っているが、系統的には鳥類と関係ない。獣脚類も「獣」とついてはいるが、哺乳類とは関係がない。豚と真珠くらい無関係なのだ。(『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る (新潮文庫)』20ページより)
ちょっと〜混乱させないでよ!もー分類は諦めて次いこ。
古代の大型爬虫類としては、魚竜や首長竜、翼竜などがいる。彼らはしばしば図鑑などで恐竜といっしょに語られるので、恐竜と思っている人も多いのだが、じつはそうではない。(同24ページより)
ん〜?『つばさをもった恐竜族』にも翼竜出てくるけど、あれ恐竜じゃないってこと!?
首長竜は、日本で見つかったフタバスズキリュウを含む水棲爬虫類。ドラえもんの映画『のび太の恐竜』で主役を演じ切ったピー助は、フタバスズキリュウだ。つまり、残念ながらピー助は恐竜ではない。(同25ページより)
えええええ?フタバスズキリュウも恐竜じゃないの!?『恐竜はっくつ記 (たくさんのふしぎ傑作集) (第5号)』書いたときも、ずっと恐竜だと思い込んでたじゃん。
もーダメだ……。
私の、恐竜の、知識は、30年前で、止まったままなのだ。
でも、分類、わかんなくても、そのまま、読めば、いいんじゃない?
どーせ、恐竜の分類なんて、新発見があればいろいろ変わる*1んだろうし。
いやいやいや……言葉の意味がわかってなければ、内容だって理解できなかろうよ。分類だってその一つでしょ。なにが恐竜かどれが恐竜じゃないかもわかってないのに、どうやって読もうっての?
だが!ウチには、鳥の図鑑は山ほどあれど、恐竜の図鑑はひとつもない。ただの一冊もだ。とりあえず図書館かな……。
とはいえ恐竜本はいつだってチビっ子に大人気。児童向け図鑑類はあらかた貸し出し中だ。新しそうななかから『きょうりゅうのずかん (コドモエのえほん)』を手に取ってみた。漢字という漢字がすべて排除された、まごうことなき幼児向けだ。
幼児本と侮るなかれ。最初のページには、恐竜の年代記が簡潔に描かれており、「きょうりゅうのなかまたち」として、ちょっとだけ分類も説明されている。じゅうきゃくるい、りゅうきゃくけいるい、そうじゅんるい、ちょうきゃくるい、しゅうしょくとうるい。ひらがなで書くと何かの呪文みたいだ。我らがちょうるい(鳥類)も、ちゃあんとなかまに入っている。
トリのこと。じゅうきゃくるいの なかまだが、つばさで そらを とべる なかまもいる。 (『きょうりゅうのずかん (コドモエのえほん)』3ページより)
だそうだ。ひらがなだと文節の切れ目がわかりにくいもんねー工夫してあるんだなあ。
ご丁寧に「きょうりゅうは どのようにして トリになったの?」というページ*2もある。おお〜これならわかりやすい。参考になる。
ずかんと称するだけあって、恐竜たちの充実ぶりもなかなかだ。漢字は一つもないくせに「せかいじゅうで つかわれている なまえ(がくめい)」だけは、アルファベット表記なのが面白い。
でも、これには意味があるのだ。バード川上も『恐竜を語る』で、こうおっしゃっている。
生物の名前には、学名、英名、和名など、さまざまなものがある。英名や和名などは、同じ種に対して複数の異名がある場合もある。しかし学名については、1種に対して一つというのが基本ルールで、学術的に使える世界共通の名称となる。(中略)
ただし、せっかく学名を使うことで混乱を避けようとしても、それを日本語で片仮名書きにするときに混乱が生じる場合がある。たとえば、Citipatiという名の恐竜。最近はこれをシチパチと書くことが多いが、シティパティやキティパティと書かれている本もある。英語読みとラテン語読みで読み方が変わってしまうのだ。もちろん、これらは同じ恐竜を指しているわけだが、これだけ表記が異なると別の恐竜の話かと誤解しかねない。(『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る (新潮文庫)』63〜65ページより)
アルファベット表記なら誤解のしようがないもんね。とはいえ、この本に載る恐竜名は、学名の“ラテン語読み”とほぼ一致している。だから学名をカナ文字化したところで、ただ同じ名前を羅列するに過ぎないのだ。
『きょうりゅうのずかん (コドモエのえほん)』、のちのち参考にはなりそうだけど、まだ頭の整理ができてないなあ。ということで次に手を出したのが『恐竜は滅んでいない (角川新書)』だ。
ここで、古生物学における恐竜の定義を紹介しておこう。(『恐竜は滅んでいない (角川新書)』55ページより)
55ページ目、実に、第二章に入ってからの「恐竜の定義」だ。
「トリケラトプスと鳥類(イエスズメ)の最も近い共通祖先から生まれた子孫すべて」
これが近年における古生物学上の恐竜の定義だ。(『恐竜は滅んでいない (角川新書)』55ページより)
ますます混迷を深めてきたぞ。ダイナソー小林はさすがプロ、「そっけないほどのシンプルさ」とアバウトさで「意味のわからない呪文のようにしか見えない」定義を繰り出してくる。しかしそこもやはりプロ。「従来の分類法」とは違うから意味不明に見えるんだよ、とていねいに説明を加えてくれる。大雑把にいうと、従来の分類法では、見た目が似たものという観点で一つのグループとしていたが、この定義がよって立つ分岐学の世界では、共通の祖先からどのように枝分かれしてきたかに着目して進化を理解するのだという。
従来の分類法、見た目に頼った分類法だと、極端にいえば、イルカとマグロを同じグループにするということもありえてしまう。一方、分岐学の方は、脊椎動物なら、一本の「脊椎動物の樹」としてとらえ、家系図のように先祖をたどって大本の共通祖先を探っていく。
「トリケラトプスと鳥類(イエスズメ)の最も近い共通祖先から生まれた子孫すべて」というのは、トリケラトプスとかイエスズメの御先祖をたどっていくと、“トリケラトプスと鳥類(イエスズメ)の共通祖先”に行きあたるよということなのだ。うーん。なんか二重表現みたいだなあ。まあ、トリケラトプスでなくとも、イエスズメでなくともよくて、トリケラトプスは鳥盤類、イエスズメ(鳥類)は竜盤類の代表選手として表記しただけらしい。ざっくり理解したところでは、恐竜は鳥盤類と竜盤類の二手に分かれてて、鳥は竜盤類の流れに入ってるってことか?
もっとも、小林先生は「恐竜とは何か」についての、私の混乱ぶりをよくわかってらっしゃる。
相手が子どもの場合は、使える語彙や言い回しが限られる反面、まっさらな頭で抵抗なく吸収してもらえる。一方、大人の場合は、より幅広い語彙が使えても、常識として血肉化し、世界観の一部になっている五つの分類*3との折り合いが簡単につけられるはずもないこともよくわかる。(『恐竜は滅んでいない (角川新書)』96ページより)
と理解までしめされているのだ。古い世界観で構築された知識の更新は、いかにも大変なことだよ。
- 作者:和人, 川上
- 発売日: 2018/06/28
- メディア: 文庫
- 作者:五十嵐 美和子
- 発売日: 2020/06/25
- メディア: 単行本
- 作者:小林 快次
- 発売日: 2015/07/09
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にわか知識を仕込んだところで『つばさをもった恐竜族』をも一度読んでみる。
本誌発行は1987年。もちろん、今の知見と異なることが多いだろう。
「つばさをもった動物」というところから、まず挙げられるのが鳥とコウモリ。そして大むかしの地球上に存在した動物として、翼竜と始祖鳥が紹介される。では、つばさができる前の翼竜と始祖鳥はどんな動物だったのか?これは「つばさをもった動物」の、ご先祖さがしの本なのだ。最初勘違いしてたけど、翼竜も含めてということだから、取り扱っているのは「鳥のご先祖の話」だけではない。
動物のそせんをさがしあてるのはむつかしいのですが、翼竜や始祖鳥の骨の化石から、どちらもそせんは、そうし竜か、それに近い動物だったと考えられます。
そうし竜は、恐竜よりまえにさかえた動物で、骨のくみあわせや歯のとくちょうから、恐竜のそせんとされています。
このことから、翼竜と始祖鳥と恐竜は、おなじそせんをもつ、しんせきどうしの動物だということができます。
この本の題名に、恐竜族などということばをつかったのも、こうしたことからです。
このページでは「槽歯竜」としてユーパルケリアが紹介されているが、やはり前掲『きょうりゅうのずかん (コドモエのえほん)』の「きょうりゅうは どのようにして トリになったの?」のなかでも「きょうりゅうの とおい せんぞ」として、起点にされている(脚注*2参照)。
翼竜と恐竜は主竜類の分類群に入るし、始祖鳥は恐竜の一種なので「翼竜と始祖鳥と恐竜は、おなじそせんをもつ、しんせきどうしの動物」というのは、あながちまちがっていないのかもしれない。
しかし『つばさをもった恐竜族』の36〜37ページ「始祖鳥と翼竜の進化のそうぞうず」では、「槽歯竜(今は主竜類ということになるだろうか)」を起点とし、そこから、
・始祖鳥の祖先→現在の鳥類
・恐竜→絶滅
・翼竜の祖先→絶滅
と三つに分かれる流れになっているので、そこは現在の知見と異なっている。
鳥のそせんについては、これからも、もっともっと研究がすすんでいくことでしょう。
と、これから研究が進んでいくだろうことも、きちんと書かれているけれど。
それでも驚きなのは「始祖鳥のそせん(そうぞうず)」として、羽毛恐竜を思わせる絵が描かれていること。この想像図は、前掲『きょうりゅうのずかん (コドモエのえほん)』の「きょうりゅうは どのようにして トリになったの?」の、シノサウロプテリクス(脚注*2参照)にそっくりなのだ!
Wikipediaの説明では、
1960年代の恐竜ルネッサンス以降、恐竜と鳥の系統関係が再びクローズアップされるようになった。その流れの中で、ロバート・バッカーやグレゴリー・ポールなどの恐竜恒温説を唱える一派は羽毛を生やした恐竜復元図をさかんに描くようになった。
と書かれているので、当時のトレンドのひとつだったのかもしれない。川上先生も、羽毛恐竜の発見は「想定内のことともいえる。羽毛恐竜の発見以前から、鳥類と恐竜の類似関係は指摘されていた」とおっしゃっている。その後実際に「羽毛恐竜の化石」が発見され、現生鳥類と恐竜との関係が明らかになっていくのだから、すごいことだ。
羽毛が、恐竜と現生鳥類を密接に結びつけることになったのはわかった。でも問題は、羽毛の、つばさのある無しじゃない。飛べたかどうか、だ!鳥といえば飛翔、一部の鳥をのぞいて、みーんな空と仲良しじゃないか。ご先祖の始祖鳥は飛べてたのか?
始祖鳥は飛べたか、飛べなかったかをめぐって、羽や翼、それを動かす骨や筋肉や動きという面からの面白い研究と議論が今でも続いている。(『恐竜は滅んでいない (角川新書)』90ページより)
『つばさをもった恐竜族』 では、「大空を羽ばたいて飛ぶことはできなかったが、グライダーのように滑空はできただろう」としている。始祖鳥には大きな胸骨がなく、歯や長い尾のために、体が重かっただろうとの推測からだ。風切羽はあるので、滑空くらいはできたかも?という。
ダイナソー小林は、脳と感覚器官に注目した研究をもとに、「まぎれもなく空中で生活をしていただろうし、どういう形であれ飛んでいただろう」としている。三半規管の発達が、現生鳥類と似ており、三次元のバランス感覚に優れていたことがわかったからだ。現生鳥類のように視覚神経が発達していたことも判明している(『恐竜は滅んでいない (角川新書)』90〜92ページ参照)。
バード川上は、「竜骨突起がまったくないシソチョウは、飛べなかったと判断されても不自然ではない」としつつも、「あれだけ立派な翼もってるし、風切羽は飛行に適した左右非対称の形。脳の形態を現生鳥類と比しても飛翔をコントロールする能力はあったはず。なので、羽ばたきは無理でも滑空くらいはと考えられることが多い」としている。その上で「科学的根拠はさておき、私はシソチョウが飛べたと直感的に信じている」と!(『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る (新潮文庫)』139〜140ページ参照)
現代の鳥類を観察している立場から見ても、あの格好で飛べなかったら詐欺だ。
川上先生によると、始祖鳥をめぐる議論は「樹上生活をしていたかどうか」ということも争点になるという。
鳥の祖先は、地上生活から直接飛行生活に入ったのか?それとも樹上利用を経て飛行を始めたのか?鳥の祖先形に近いシソチョウの生活を知ることで、初期の鳥類の行動をある程度推測できると考えられるからだ。「シソチョウの議論は、鳥類の飛行生活の背景を探る代理戦争」でもあるようだ。ちなみに『つばさをもった恐竜族』は「始祖鳥は樹上生活」派だ。
しかし!小林先生によると、そもそもの前提となる「始祖鳥は鳥のご先祖、鳥のなかま」という話自体が、研究者の間でも揺れはじめているという。古生物学の研究者にとっての「鳥類」の定義は、
「始祖鳥とイエスズメから構成される最小のグループ」
だ。イエスズメというのは例によって代表例なだけで、要は鳥とは「始祖鳥とそれより進化した鳥類」ということ。進化の過程というのは、幅広いグラデーションとなっていて「鳥類じゃない恐竜」と「鳥類」の境目は、実は曖昧なものなのだ。その中で「ここからがトリ」という鳥類の起点となっているのが、始祖鳥なのだという。その大事な出発点となる始祖鳥そのものが「トリなのかどうか」ということで揺れているらしい。
始祖鳥の立場が揺らいできた原因は、やはり化石の新発見。ミクロラプトル・グイという化石だ。復元図を見ると、始祖鳥と見分けがつかないほど似ているという。新発見や研究が進めば、他の化石が始祖鳥にとって代わり、鳥類の起点となって鳥類の定義も変わるやもしれないというのだ。
だが、分類が変わったからといって、恐竜の進化の流れの研究に大きな問題が起こるわけではないとおっしゃる。基準やグループ分けなど、人間が決めた便宜的なものであり、大事なのは進化の流れをつかむことだからだ。
私たち恐竜の研究者が追い求めているのは、進化の連続性であり、「枝分かれのさま」なのだ。
『つばさをもった恐竜族』は、今の知見と異なることが多いかも?と書いた。しかし案外に、他に読んだ新しい本と比べて、大きく変わったという印象をもたなかった。化石の新発見等で新しい知見が増えたことは確かだが、大きな流れは変わっていないのかもしれない。
バード川上が『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』冒頭で、とある鳥の骨格標本を見せ、オラオラ、骨だけ見て本物想像するなんてできねーだろ?と迫るように、「化石からの推定では埋めることのできない現実とのギャップ」が横たわっているからかもしれない。今度、川上先生の出してる『鳥の骨格標本図鑑』見ながら、なんの鳥か当てっこしてみよっかな。漠然と眺めてるだけだったけど、ちょっとは見方が変わるかもしれない。
最近リリースされた、
のデジタルアーカイブをあれこれいじって、想像してみるのも楽しそうだ。
笑えたのが、ダイナソーとバードの対談でのやり取り。
川上 勝手に鳥の研究するの、やめて下さいよ!
小林 鳥も恐竜ですから!
川上 いや、恐竜が鳥ですから!
- 作者:重井 陸夫
- メディア: 単行本