こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

重さと力 科学するってどんなこと?(第301号)

引力、重力、遠心力。

その意味や理解はともかく、ふだん当たり前のように使っている言葉だ。

だれが“創った”か知っているだろうか?これらの言葉を発明したのは、誰あろう阿蘭陀通詞だ(『ガリヴァーがやってきた小さな小さな島(第223号)』)。

中野柳圃もとい志筑忠雄その人だ。

ニュートン物理学なんて、そのころの日本には影も形もないものだ。だから、引力、重力、遠心力なんて言葉も存在しなかった。

江戸の科学者 西洋に挑んだ異才列伝 (平凡社新書)』の、志筑忠雄の項ではこう書かれている。この本は、日本の近代科学技術の礎をつくった、江戸時代の11人を紹介したものだ。

 言うまでもなく、当時の西洋にはそれらの概念をあらわす用語が存在した。一五世紀以降、西洋ではコペルニクスガリレオケプラーニュートンなどによって新しい自然観や物質観が樹立されたが、それと用語の確立は並行していたからである。

 江戸時代に発明された科学用語は、こうした用語の翻訳だった。では、発明ではなく単に翻訳と言えばよいのではないか。もっともな理屈だが、当時の日本では西洋の科学観は未紹介だったし、原語に相当する概念も存在しなかった。その中での翻訳作業は、まさしく言葉の発明と呼んでよいものだったのである。

 さて、いったいその科学用語の発明者とは誰か。引力や重力という用語を発明し、最初に使った日本人とは誰だったのか。それは長崎通詞だった志筑忠雄(中野柳圃)である。(『江戸の科学者 西洋に挑んだ異才列伝』17〜18ページより)

志筑忠雄は、先の『ガリヴァー』でも触れたように、通詞としては早々に引退を決め、学問の道を邁進している。『江戸の科学者』によると、隠居後の名前「柳圃」は、病弱だったため「蒲柳の質」をもじって付けたものだそうだ。辞職の理由は他に「しゃべるの苦手」という本人の弁もあったようだが、著者は、病弱とか口下手とかただの口実だったんじゃ?と疑いの念をむけている。もっとも、志筑が仕事を辞め「象牙の塔の住人」でいられたのも、ひとえに実家が太かったから(生家中野家は長崎有数の資産家)という噂もある。ともあれ、通詞なんてやーめた!俺は学問やる方がいいわ、と早くに方向転換してくれたからこそ、引力、重力、遠心力も生まれたのだ。なんせ志筑忠雄は40代の若さで現世からもおさらばしているのだから。

 

志筑忠雄がニュートン物理学にめざめたのは、ジョン・キールの著作との出会いがきっかけだった。はじめ、キールの著作を訳したなかの『求力法論』では、引力は「求力」、万有引力は「万有求力」という言葉で表していたが、のちの『暦象新書』に至って、訳語を改良・洗練し「引力」に改めることとなった。+、-、÷、√といった数学記号が紹介されたのも本邦初のことだ。

暦象新書 | 国立天文台(NAOJ)

新書875江戸の科学者 (平凡社新書)

新書875江戸の科学者 (平凡社新書)

『重さと力 科学するってどんなこと?』の出発点は、「重さってどんなこと?」という一つの疑問だ。

重さ……体重計とかの、秤ではかれる数値のことじゃないの?

え、じゃあ数値が重さなの?

うーん。

あらためて重さって何?って聞かれると、説明できない。

 かんたんそうに見えるこの「疑問」は、じつは、現在でも研究されている物理学の難問です。

わたしたちのまわりすべての物には重さがある。

じゃあなぜ重さがあるのか?

すべての物質は原子という小さな粒が多数固まってできてる。その原子には重さがあるからからだ。

じゃあなぜ原子には重さがあるのか?

原子はもっと小さな素粒子と呼ばれる粒からできてる。素粒子も重さをもっているからだ。

じゃあなぜ素粒子には重さがあるのか?

素粒子はもっともっと小さな粒からできていて、それが重さをもっているから……

 ほんとうのところ、なぜ物に重さがあるのかについては、まだよくわかっていません。

まあ本誌は2010年発行なので、今はこんなことが発見されてあんなこともわかったはずだよ、ということがあるやもしれませんが、そこのところを調べようとか、わかろうとかいう意欲がないのが悲しいところだ。

じつは、重さのはかり方には2通りの方法があります。

で、えーっそうなの!?と驚くくらいだから、理解レベルはお察しである。一応、高校の物理でやったはずと思うのだが。どうやって試験乗り切ってたんだろ?小学生にかえった気分で読めるのが、またまた悲しいところだ。

その2通り、一つはおなじみの体重計とかの秤を使ってはかるやり方。重量(重力質量)と呼ばれている。

もう一つは「おなじ力を加えたときにどれだけの速さになったかをはかって決める方法」。質量(慣性質量)と呼ばれている。原子とかちっちゃい物質の重さをはかるのに使われている。なるほど〜。

 重量と質量はちがったはかり方をするので、大きさがちがっていそうなものですが、正確に等しいことがさまざまな実験でわかっています。この本では重量と質量を区別せず、重さと呼ぶことにします。

ヘえ〜本当に同じになるんだねー。でも、わざわざ「区別せず」っていうことは、区別するべきときもあるってことよね?

「質量」と「重量」って何が違うの? – 大洋製器工業株式会社

ああなるほど〜。確かに月行くと体重減るって聞いたことがある!そういうことかあ(そういうことではない)。

そこから話はニュートンに飛ぶ。

 すべての物と物のあいだには、目には見えなくても、たがいに引きつけあう力がはたらいているのではないか、と考えた人がいました。アイザック・ニュートンです。ニュートンはまず、太陽や月や火星がきまった動きをするのは、その星どうしが引っぱりあっているからではないか、と仮説をだしました。より大きい重さをもつ物のほうが、引っぱる力が強いのではないかとも考えました。

 月や太陽や地球は、それぞれたがいに、引っぱりあいをしている。リンゴのように地球の上にある物も、地球と引っぱりあいをしている。ニュートンは、この引っぱりあう力の大きさこそが、重さを区別する正体だと考えました。すべての物がたがいに引きつけあうので、この力を万有引力と言います。

こんな仮説を発想するニュートンニュートンだけど、鎖国時にこれを理解しようとした志筑忠雄もすごい男だよ(ちなみに「鎖国」という言葉を最初に作ったのもこの男)。単に翻訳するばかりではなく、自分なりの思索「宇宙論」とでも呼べるようなものまで残しているという。前掲『江戸の科学者』では、

しかし忠雄以降、西洋の科学思想に真正面に取り組んだ者は江戸期にはあらわれなかった。
 明治以降も殖産振興や富国強兵を急ぐあまり、成果の吸収がもっぱらで、その土台にまで思いをはせる者は少なかった。まして自負心と気概をもって西洋思想と対峙した者となると、ほとんど見いだしがたい。

 忠雄にとって翻訳とは単なる知識の置き換えや吸収ではなかった。陰陽五行説や気の思想を武器として、異質の思想と対峙したひとつの闘いだった。彼のニュートン力学や粒子論はこの格闘の中でかちとられたものだった。

 西洋科学思想の受容というテーマは、本家があちらだけに知の西洋から無知の東洋へと一方的な議論に陥りやすい、受容する側にも独自の思想的伝統があり、自然観や物質観があったことはあまりかえりみられなかった。
 その意味でわたしたちは、何度でも忠雄に返る必要があるのではないだろうか。(『江戸の科学者 西洋に挑んだ異才列伝』49〜50ページより)

と、忠雄の気概と苦闘を絶賛している。

 

ニュートンの考え自体も、同時代、必ずしも理解されていたわけではない。

 ニュートンが生きていた時代には、力は、触れあっている物体のあいだでしか伝わらないとされていました。そのため万有引力のような空間をこえて伝わる力は、魔術のようなものだとうけとられ、信用されなかったそうです。

確かに「俺の考えによれば、人工衛星もできるはずだぜ?(かなり意訳ってか誤訳)」って言われても、はあ?そんなわけないじゃん!ってなるかも。もっとも、ニュートンにまつわるエピソード見ると、性格悪っ!と思うようなのがわんさかあるので、理解されなかったのはそのせい?もちょっとはあるのかもしれない。

 

しかし、本号において子供たちに伝えたい真のところは「科学するってどんなこと?」の方だ。ニュートン万有引力も、いうなれば「出し」にしか過ぎない。

「科学する」とは、このように、

●疑問(なぜと問いかけるふしぎ)にはじまり、

●仮説(こうではないかという考え)をもって想像し、

●実証(実験・観察・計算でたしかめる)

という手つづきをへて、

●法則(いつでもどこでも成り立つ真理)

をうち立てる道すじのことです。

 「重さってどんなこと?」と、この本でいっしょに考えてきた道のりが「科学する」ということです。

志筑忠雄は、オランダ語を翻訳する上で「文法則」に着目し、文法や語法を詳細に解説した書をいくつも著している。その功績が弟子や通詞たち、他の蘭学者たちのオランダ語理解の助けとなったことは言うまでもない。このように、ルール・法則を知りたい、発見したいという熱意があったからこそ「西洋の科学」と向き合うことができたのかもしれない。

志筑忠雄はまぎれもなく「科学する男」だったのだ。

月刊 たくさんのふしぎ 2010年 04月号 [雑誌]

月刊 たくさんのふしぎ 2010年 04月号 [雑誌]

  • 発売日: 2010/03/03
  • メディア: 雑誌
 

イラストは、スズキコージの手による、まさにスズキコージの宇宙が繰り広げられている。付録の一枚絵も大変に素晴らしい。そのパワフルさたるや、是非とも原画で見たいくらいだ。しかし、読んでる最中ちっとも目に入らなかったのはやはり、中身を読み解くので精一杯だったせいか?残念なアタマをもってしては、楽しむ余裕をもたないのが残念なところだ。