『日本海のはなし』。
いつもながら「たくさんのふしぎ」のタイトルはシンプルすぎる。
知らんで書店や図書館にあったとしたら、私は手に取るだろうか。興味を引くタイトルでなかったとしても、各号欠かさず読む(読みたいと思う)のは、ひとえに「たくさんのふしぎ」というブランドを信頼しているから、といえるだろう。
"GIFT FROM THE SEA OF JAPAN"。
英題の方がよっぽど本質を言い表している。でも和訳して『日本海のめぐみ』にしてしまうと、何かが違う。高級海産物じゃないんだから。まあ「作者のことば」では、
ぼくたちの遠い祖先までさかのぼると、日本列島で暮らしていた人々のすべてが、日本海からたくさんの恩恵を受けてきました。海では魚や貝がとれます。大切な食料ですね。 (本号「作者のことば」より)
とは書かれているけれど。
日本海は特異な海だ。
平均でおよそ1,700mもの深さがあるのに、日本海とつながる四つの海峡(対馬海峡、津軽海峡、宗谷海峡、間宮海峡)はごく浅いものなのだ。
つまり日本海では、となりの海とつながっているのは海の表面だけで、深いところではほかの海と接していないのです。
たとえるなら、日本海は、小さなプールのような海といえるでしょう。
このプールみたいなちっぽけな海が、日本の国土を作り上げたといっても過言ではないのだ。ナイルほどではないにせよ、“日本は日本海のたまもの”といっても良いのではないか。
国土のおよそ3分の2を占める豊かな森林、その森林を育てるのは豊富な水だ。山がちな日本で、降った水は急流となりすぐに流れ下ってしまう。それを押し留めているのは雪だ。雪という形で蓄えられるからこそ、春から夏、もっとも水を必要とする時期に、惜しげもなく使うことができるのだ。
日本は世界でもまれにみる豪雪地帯を抱えている。ほとんどが日本海側の地域だ。日本海に流れ込む対馬暖流、 大陸からやってくる冷たい季節風、日本の背骨とも称されるアルプスの山々、そして日本海。この四者のコラボによって日本海の水が、雪という形で日本に蓄えられる。
冷たい季節風と日本海のコラボは、日本海の深海部分にも大きな影響を与えている。日本海表面の海水が冷やされることで起きる現象は、世界中の海でも起きていることなのだ。日本海で起きる海水循環のメカニズムとダイナミズムは、ぜひとも本書を読んで確認してみてほしい。海水循環がうまく機能しているからこそ、日本海では「浅いところから深いところまで、ゆたかな生態系が築かれている」ことがよくわかる。
日本海は、世界の海のミニチュア版といわれたり、「ミニ海洋」と呼ばれることもあります。
しかし「いま、気になること」があるという。海水循環のメカニズムには、日本海表面の海水温が大きく関わっている。その海水温がここ100年ほどのあいだに1〜2℃も上昇しているというのだ。地球温暖化の影響だ。メカニズムがうまく機能している証拠、深海水の酸素濃度も、ここ30年間で約10%も減少しているという。
最後はif(もしも……)の話。
日本海がいまよりずっと広くなっていたら?あるいは、もっと狭かったとしたら?
「歴史にifはない」とはいわれるけれど、もしこうだったらと考えるのは楽しいものだ。
日本海がほどよい大きさであるおかげで、わたしたちはいろいろな面で大きな恩恵を受け、独自の文化を発展させることができたのです。
イラストはいしかわけん氏。ふしぎ新聞の連載「ふしぎ博物館」でおなじみだ。ふしぎ新聞で見慣れたイラストが巨大化してカラー化して「たくさんのふしぎ」本体を彩るって、不思議な感じ。すっきりシンプルに描かれた表紙絵がすごくいい。見開きで見せる形だったら、海が広がってもっとよかったのになあ。
- 作者: 蒲生俊敬,いしかわけん
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 2019/04/03
- メディア: 雑誌
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日本海の離島は、渡り鳥の中継地になっているところが多くある。
たとえば舳倉島。たとえば飛島。当然、探鳥地として有名だ。
その昔、舳倉島を訪れたことがある*1が、来島者のほとんどが鳥か釣り。
みな一様に、釣りセットか鳥セットか装備している。周囲約5km、一回りすれば終わってしまう島を見れば、海には釣り師、陸には鳥師。釣り人が竿を垂らして魚を待ち受ければ、鳥の人はスコープやらバズーカみたいなレンズやら構えて、鳥を待ち構えている。
そのとき思ったのは、
ただ、鳥や魚を待ってるなんて。何が楽しくてやってんだろう?
宿では人々が鳥談義、釣果自慢。シーズンは海が荒れることも多い。鳥屋のおじさん曰く、船が欠航して1週間帰れなかったこともあるよ〜欠勤して上司におこらりちゃったよ〜。
バカジャネーノ…
私はバードウォッチングなんかしない。絶対にだ。
それが!何の因果か、自分の子が「バードウォッチングなんか」することになろうとは。自分も双眼鏡をぶら下げる羽目になろうとは。当時の私が知ったらどんな顔をするだろうか。人生というのはつくづくわからないものである。
無論、このとき舳倉島にいたいちばんのバカは、鳥も釣りもしない私であることは言うまでもない。