聴導犬とは?
漢字からわかるとおり、聴覚に障害がある人たちの暮らしを助ける犬だ。
作者はイギリスで、耳の不自由な青年ジェミーと、パートナーの聴導犬ペッグに出会う。ジェミーは13歳で発症した病気治療の後遺症で、19歳には完全失聴してしまう。大好きな音楽も聞けず、電話で友人たちと話をすることもできない。外へ出れば、慎重に行動しなければならず、家のなかにいても、ドアベルや目覚まし時計などが聞こえなくて不自由する。ペッグのおかげで、ジェミーの不安は和らぎ、家にひとりいても安心して過ごせるようになったのだ。ドアベルが鳴ればペッグが知らせてくれるし、目覚ましが鳴れば起こしてくれる。
日本で、人を助ける犬として知られるのは盲導犬だ。盲導犬となる犬種は限られている。日本では、ラブラドール・レトリーバーやゴールデン・レトリーバー、あるいはその交雑種がほとんどだ。
一方、聴導犬となる犬種はさまざま。保護犬や引き取り手のない犬たちのなかから選ばれることもある。ペッグもジャック・ラッセル・テリアとキャバリア・キング・チャールズ・スパニエルの雑種。もらい手が見つからないとして、英国聴導犬協会に連れてこられた子犬だった。
盲導犬と同じく、生後しばらく、9ヶ月まではパピーウォーカーの元で育てられる。訓練が始まるのは生後1年くらい経ってから。その間も、聴導犬に向いているか適性を見たり、検査したりして、合格した犬だけがトレーニングを受けるのだ。
長い時間をかけたトレーニングの後、聴導犬として働くようになってからも、訓練は欠かせない。
しかし、それから後もずうーっと、飼い主が、基本の訓練をつづけていかなければなりません。犬だってなまけたり、遊んだりしているほうがやっぱりすきなので、ふだんの訓練をおこたると、聴導犬として働かなくなってしまうのです。
後半には、英国聴導犬協会の指導を受けて始まった、日本の団体*1の話も出てくる。こちらでも「不幸な犬たちの中から聴導犬の候補をえらぶ」という方法を取り入れている。保健所や保護団体から子犬たちを引きとってきているのだ。保健所で処分されそうになっていた「タカ」。雑種だからいらないと捨てられた「クロ」。人間の身勝手で命を落としそうになった犬たちが、人間のために働いている。協会に引き取られた後、たとえ聴導犬になれなくても、ペットとして新しい飼い主のもと幸せに暮らしている。
聴導犬の一生 | 聴導犬とは | 補助犬とは | 日本補助犬協会
登場する犬たちのなんと愛らしいこと。私は筋金入りの猫派だけど、人と共に生きる犬たちのキリッとした表情は、猫にはない大きな魅力がある。聴導犬はペットとは違う。仕事をする犬なのだ。仕事とはいっても『馬と生きる(第416号)』のような関係性とも異なる。
ジェミー曰く、
「ペッグは、ぼくの耳のかわりというだけじゃなく、体や魂の一部なんだ」
のとおり、深い絆で結ばれているのだ。
こういうテーマは、主人公となるのが、障害を持つ人と、保護犬からの聴導犬ということで、得てして“感動”を呼び起こすものになりがちだ。しかし本書は、あくまで聴導犬のことを知ってもらいたいという方向性で書かれている。過去の「不幸な状態」を描くのではなく、人と犬はこんなにも素晴らしい関係を築くことができるのだ、という希望を描き出しているのだ。
人を助ける犬としては、手足が不自由な人を助ける「介助犬」、てんかんや糖尿病の発作が起こりそうな時に知らせる「アラート犬」、病気の人の心をいやす「セラピー犬」もいる。
なかでも盲導犬、聴導犬、介助犬の三種の犬たちは、身体障害者補助犬として身体障害者補助犬法の対象となっている。補助犬を「同伴の介護者」として扱おうという法律だ。公共機関や公共施設ばかりでなく、通常動物連れでは入れない、スーパーマーケットやレストラン、ホテルなどにも同伴することができる。
しかし、現状、補助犬に対する理解が進んでいないケースがあることも確かだ。盲導犬の事例では、半数以上のユーザーが受け入れ拒否の経験をしている。
法律自体知らないというのもさることながら、施設側がもっとも懸念しているのが、他のお客さんからの“クレーム”なのだ。犬嫌いな人だけでなく、犬アレルギーの人への“配慮”。同じ配慮なら、補助犬とともに行動している人にこそ必要だと思うが、そうはいっても受け入れ態勢をどうするか想定していないと、“とりあえず拒否”という方向に流れてしまいがちだ。だからこそ「他のお客さん」たる私たちひとりひとりが、補助犬とはどういう存在なのか、知って理解する必要がある。
本号は、犬たちの魅力に負けず劣らず、素敵なデザインに仕上がっている。ノンブルには犬があしらわれており、ページをパラパラすると、犬が駆けるさまが浮かび上がってくる。裏表紙は、人と犬の足跡が寄り添うように並んでいる。人が先でもなく、犬が先でもない。傍らで支え合いつつ生きているのだ、というメッセージのようだ。