経県値というサイトがある。
私は旅行好きかつ転勤族なので、大部分の都道府県が「宿泊(4点)」か「居住(5点)」に当てはまる。「訪問(3点)」だけなのは三重県。経県値は190点だ。
なかで唯一「通過(1点)」なのが、富山県。学生時代は山もやってたのに、旅行にも良いところなのに、なぜか鉄道で通過したことしかないのだ。
ちなみに今も山をやる夫はもちろん、子供も剱に登ったことがあるので二人は富山を「経県」済みだ。
『黒部の谷のトロッコ電車』はその富山県、剱岳のすぐそば黒部峡谷を走る黒部峡谷鉄道を主人公にした絵本だ。トロッコ列車による運行がなされている。
こんな谷間にどうして鉄道をつくったのでしょうか。そして、この電車はどこに行くのでしょうか。また、この電車はどうしてこんなに小さいのでしょうか。
さっそく乗ってみることにしましょう。
私は現地に行ったことがないので、一読目は観光客の視点で楽しんだ。10〜11ページ、28〜29ページの見開きいっぱいのイラストは、まさに観光客気分で楽しむことができる。
もう一度読み直したとき、目に止まったのは「はたらく姿」。
そもそも、
「トロッコ」とは、簡単なレールをしいて、土木工事の土砂などを積み、人が押して動かす小さい車輌のことです。
のちに作者は『海べをはしる人車鉄道(第261号)』を手がけているが「人が押して動かす」という点で共通するものがある。黒部のトロッコは人力ではないけれど。
「はたらく姿」。
もともとこの鉄道は、観光のために作られたものではないのだ。ダムや発電所の建設用に敷設された専用鉄道。作業員や建設材料を運ぶのが第一の目的だった。「はたらく鉄道」であり「はたらく人のための鉄道」なのだ。
現在、黒部峡谷鉄道は、風景の美しさから観光鉄道として有名です。しかし、上流のダムや発電所に人や貨物をはこぶのは、この鉄道にとっては、いまでもたいへん重要な仕事なのです。
鉄道ばかりではない。発電所を作る上で調査のために敷かれた道だってそうだ。
調査のための歩道が、谷の奥にむかってのびていきました。切り立った絶壁をつたう、人ひとりがやっと通れるだけの道です。この歩道は谷の奥のほうではいまもそのままのこっていて、登山者たちに利用されています。
この道は水平歩道。今でも送電線の巡視路として使われているし、電力会社による整備がなされているからこそ使える道でもある。ここも「はたらく道」であり「はたらく人のための道」なのだ。
この絵本は、観光客として列車に乗るだけでは決して見えてこない風景ー「はたらく姿」をたくさん見せてくれる。前半でもはたらく人の姿が随所におりこまれているし、後半は旅客列車としてシーズン運転を終了した後、雪にそなえた準備作業がていねいに描かれている。
私もいつか絶対乗りに行くはず。目の前に広がる風光明媚な風景を楽しむだけでなく、「黒部の谷のトロッコ電車」を支えている「はたらく姿」も思い浮かべながら乗ってみたい。
奥付に、
26ページの文章は、関西電力株式会社発行のパンフレット「黒部奥山をひらく」および吉村昭著『高熱隧道』(新潮社)を参考にしました。
とあったので『高熱隧道』も読んでみた。
これがまたすごい。ご存知の方は何を今さらかもしれないが。眼科で子供の診察待ち*1の1時間半足らずで一気に読んでしまった。本号26ページの文が軽く吹っ飛ぶくらいの重さでぐいぐい迫ってくる。
こちらの舞台となるのは、観光鉄道の終点、欅平駅以降の関西電力黒部専用鉄道の方だ。Wikipedia記事の「歴史」を読むだけでくらくらしてくるが、それが文庫本255ページ分一気呵成、圧倒的な筆致で描き出されているのだ。これが実話だというからなおのこと恐ろしい。
なかでも戦慄するのは泡雪崩のシーン。
「見て下さい、ないんです」
藤平たちは、伊与田のの指さす方向に眼を向けた。
「なにがないんだ」
根津が、反射的に叫んだ。
「宿舎です。宿舎がないんです」
伊与田の声は、甲高くふるえていた。
(『高熱隧道(新潮文庫)』135〜136ページより)
この飯場は決して適当に作られたのではなく、雪崩の被害を受けるのことのないよう、綿密な配慮が払われていた。建物は鉄筋コンクリートでかためられ、強度も十分留意されていた。場所の選定にも念には念をいれ、専門家の意見も入れた上で安全性が高い場所を選んでいたはずなのだ。
そんな人間の尽力など嘲笑うかのように、自然は、宿舎とそこにいた人たちを丸ごと消し去ってみせる。さらに不気味なことには、付近の捜索活動をしても建物の残骸一つ、犠牲者の一人すら見つからないのだ。暮れに発生した惨事は、年明け二月に入っても手がかりがつかめないままだった。のちに思いもかけぬ場所で見つかることになるが、そこに至るまでのシーンはぜひとも本書を読んでほしい。
そこに至るまでのシーン……に至るまでも、惨劇の連続だ。(はたらく)人というのは、こんなにも脆い存在なのかと、暗澹たる気持ちになる。なんとしても隧道を完成させるのだという執念と苦闘は、時代背景も相まって狂気かと思えるほどだ。
全工区の犠牲者は300人余り。中でもこの『高熱隧道』で取り上げられる第一、第二工区の死者は230名にのぼるという。繰り返しになるが、これはフィクションの数字ではなく、かつて本当に働いていた人たちの死そのものなのだ。彼らは決して数字としての存在ではなく、一人ひとりに人生があり家族があったはずの人間だ。
本は黒部第三発電所の完工をもって幕切れをむかえる。完工して死者も浮かばれたはず?んなわけねーだろ、この本は弔いにもなりゃしないと言わんがばかり。「感動」みたいなものをきっぱりと拒絶する結末は、数多の犠牲の上に今があるという現実を読者の喉元に突きつけてくる。
「黒部の谷のトロッコ電車」を支えているのは、今の「はたらく姿」ばかりでなく、かつてそこで働いていた数知れぬ人々の命でもあるのだ。
このエントリーをもって、201-300 カテゴリーの記事をすべて書き終えたことになる。
そこで、第201号〜300号までの記事一覧を発行番号順にご紹介する。
『おかし (たくさんのふしぎ傑作集) (第300号)』に追記したので、興味のある方はご覧ください。その他も書き終わり次第、一覧にする予定。