表紙がいい。うつるのは後ろ姿だけ。
顔を出したっていいじゃないかと思われるだろう。
ましてこの男は、その世界ではよく知られた人物だ。
しかし「たくさんのふしぎ」では、彼も主役の一人にしかすぎない。この絵本では、主人公は犬であり、イカダであり、ユーコン川そのものでもある。だからこそ後ろ姿なのだ。顔を見せると、どうしても人に目がいってしまうから。
ちなみにご本人が書いた本は、こんな表紙だ。前面には出てないものの、顔はこちらを向いている。自分の体験を伝えるために、自分の好きなように書いた本だから。
なかの写真も野田さんはあまり目立たない。後ろ姿だったり、横顔だったり。カメラ目線で真正面から撮ったのはほとんどない。犬、イカダ、ユーコン川の自然、そして老いた男がぴたりと調和している。
老いた男と書いたが、普通こういう冒険は若者や壮年期の特権だ。
このとき野田さんは実に75歳。
それまで何度となく訪れているとはいえ、イカダで下るのは初めてだ。
なぜイカダなのか?いつものカヌーではなく。
野田さんの原点だからだ。
そんな野田さんには夢がありました。昔、外国の雑誌で数人の男たちが大きなイカダでユーコン川を下るという記事を見て、いつかカヌーではなく、イカダでユーコン川をのんびりと旅してみたいと考えていたのです。
外国の雑誌というのは『National Geographic』の1975年12月号。野田さんに強い印象を残した記事こそ"Rafting Down the Yukon"だ。のちに『Yukon Passage』という本にもまとめられている。
『ユーコン川を筏で下る』によると、野田さんがユーコン川をカヌーで行き始めたのは、ナショジオの記事から10年経った頃だった。そのときもイカダで下る人たちに出会ったという。二年目にユーコンに来たときも、なんと同じイカダに遭遇している。
筏というのはとても時間を食う代物なのだ。それ以来、ユーコン川を筏で下ることが、ぼくの頭の中にずっと居座っていた。(『ユーコン川を筏で下る』10ページより)
イカダはカヌーほどオールを漕がない。ほとんど川まかせなのだ。川の流れに身を任せることになる。
その時間に身を任せられるのは、その速さで生きている者だけだ。時間がたっぷりある若者か、もはや時間に縛られなくなった老境の人か。
それを考えると、この冒険は野田さんが75歳にならないとできないものだったのかもしれない。
生理的なテンポもそうだが、壮年期は物理的に時間が取れないというのもある。
旅の総勢はなんと8人(と2匹)。『ユーコン川を筏で下る』には集合写真があるけれど、うち2人の顔は「長期休暇をとるのに無理をしたので」墨で塗りつぶされているのだ(「ふしぎ」にはほとんど登場しない。イカダに乗るのは野田さんと犬たちだけ)。2人は野田さんの主治医であるドクターと、居酒屋を営んでいるトクさんだ。働きざかりでひと月も休みを取るのはさぞかし大変だっただろう。
もちろん『犬といっしょにイカダ旅』は、あれやこれやの事情は微塵も感じさせていない。野田さんがもう亡くなっていることも含め。2013年というともう10年も前だが、つい数年前のことのような現役感にあふれている。
子供たちはただ、ユーコン川の旅を一緒に楽しめばいい。
印象的だったのが野生動物の近さ。ビーバー、ハクトウワシ、リンクスそして仔熊まで!崖の上にたたずむドールシープを真っ先に見つけたのは犬だ。人間だけだとなかなか気付かないところ、犬は真っ先に気配を察するのだ。
野田さんが犬をお供に連れているのは、旅のなぐさめになるからだという。
川旅は必ずしも楽しいことばかりではなく、ときに無聊を託つこともある。そんなとき犬がいてくれると心が穏やかになり、話し相手にもなってくれるというのだ。同じ旅の相棒でも『極夜の探検(第419号)』のヒリヒリした関係とはまるで別物である。
野田さんという稀有な個性を前面に出すのではなく、ユーコン川を中心にすえ旅を描き出したのは、長年友人として、仕事相手としても付き合ってきた佐藤さんならではだ。
後年野田さんは「川の学校」を開催し、子供たちに川遊びの楽しさや自然の大切さを伝えることにも携わっていた。だからこそ「ふしぎ」でも、川を楽しむこと、川から見える自然の美しさを見せることに注力しているのだ。
この絵本は子供たちを川の魅力を伝え、川に誘うものなのだ。かつて野田さんがナショジオの記事に引かれユーコンに引き寄せられたように。
野田さんにとって最後のユーコン、最後の川旅が、夢であったイカダ旅で締めくくれたというのは、最高に幸せなことだったに違いない。しかも愛犬と、長年人生をともにしてきた仲間と一緒というのは。