こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

わたしたちのカメムシずかん やっかいものが宝ものになった話(第380号)

以前この記事で、仮説実験授業のことを取り上げたが、その提唱者である板倉聖宣先生が亡くなられた。

板倉先生のすごいところは、仮説実験授業そのものではない。子供の気持ちを知るのは難しい、だからこそ子供たちに聞かなければ分からないことも多いのだ、という姿勢である。私も予断を持って子供の気持ちを判断してしまいがちだが、板倉先生はこうおっしゃるのだ。

<子どもたちの本当の気持ちはなかなか分からないものだ>ーそう考えて、いつもいろいろな角度から問いかけながら考えていくことが大切だと思うのです。(『 たのしい授業の思想』(仮説社、1988年)、176ページより)

先生のスタンスは一貫して変わらない。「たのしく学んだ知識こそ身につく」というものだ。 

 授業がたのしくなくて無理やりおぼえこまされた知識でも、だれかの仕事の下請けをするときは役立つことがあります。しかし、そういう知識は、自分自身が主人公となってものごとを判断するときには、ほとんど役に立たないのです

 「たのしい授業」というと、「先生がじょうだんなどいって子どもを笑わせたり、ろくに授業もしないであそばせることだ」と思いこむ人がいますが、それは本当に「たのしい授業」をした経験のない人のいうことです。子どもたちは今も昔もたいへんな知りたがりやです。学校の授業で自分の視野を拡げ、技能を高めてくれることをなによりものぞんでいるのです。(前掲書、24ページより)

先生は「たのしく学んだ知識」を忘れてしまってもかまわない、とまでおっしゃるのだ。 

 仮説実験授業が提唱されたとき、一番先に気がついたことは、一種の定着率の問題なんです。ふつうの理科の教育だってさ、ほとんど何も定着しないわけでしょ。仮説実験授業やったって、うんと定着するわけじゃない。それで、始めから「仮説実験授業が終わった直後に残っていることは大事。あとは忘れちゃってもかまわない」と言ってたんだね。仮説実験授業を教える以上は、そこで教えたことだけは、一週間か二週間は覚えていてほしいと。

 小説を読んでても、主人公の名前とか、片っ端から忘れてたら、読み進められないでしょ(笑)。読んでる最中は覚えてないとね。でも読んでしまったあとも覚えてることはない。それより、印象として「感動した/おもしろかった」とかいう思いが残っているのが大事。授業だって、「あの授業、たのしかった」というものが残っていればいい。

 人生において、いろんなことを勉強していくんだけど、「あることに対してイメージがよくなる」ってことは、それを学ぶうえで決定的なんです。そういうことが最初はそんなに見えてたわけではなかったけど、そういうことが明確になったことが、仮説実験授業をやってよかったと思っていることの一つだね。(『あきらめの教育学』(仮説社、2014年)、8ページより)

もちろん、いつのどんな授業であっても全員に、楽しいという思いを感じさせるのは難しい。しかし、楽しかったという思いは、その時自分もできた、やればできたんだという思いは、たとえ知識や問題の解き方を忘れてしまったとしても、生きる上での自信や糧になるだろうというのだ。

『わたしたちのカメムシずかん やっかいものが宝ものになった話』も「たのしい授業」の一つだと思う。舞台となるのは、岩手県葛巻町の江刈小学校。当時の校長先生が、町の嫌われものであるカメムシを、みんなで調べて<カメムシはかせ>になろうと楽しそうに呼びかけたところから始まる。葛巻町において、カメムシは害虫以外の何ものでもない。農作物に被害を与えたり、宿泊施設では苦情の原因になったりもする。校長先生の呼びかけは、子供たちにとっても当初、戸惑いのある提案だったようだ。

ともあれ、

カメムシを見つけたら写真をとり、図鑑で名前をしらべ、見つけた日時や場所、気がついたことなどの記録とともに、標本としてポリ袋にいれたカメムシを廊下の壁にはりだすことにしました。

という活動が始まった。日を追うにつれ、子供たちのカメムシ探しは熱を帯びていく。いいなあと思ったのは、体育の授業中の話。帽子にとまったカメムシを「これはじめて見るよ、なんていう名前かなあ」と声をあげた子供に、先生は、授業中だしなあと迷いながら、校長先生のところに持っていきなさいと声をかけるのだ。

子供たちによるカメムシ調べは、 

 こうして廊下の壁にはりだされるカメムシの数は、日をおうごとにふえていきました。自分の目で見つけたよろこびが、もっと見つけたいという気もちをかきたてます。

 数がふえるにつれて、学校にある図鑑にはのっていないカメムシもでてきました。カメムシしらべを、みんなが心から楽しんでいるようすを見た校長先生は、カメムシを専門に研究する人たちがつかう、日本でいちばんたくさんカメムシがのっている図鑑を買ってしらべることにしました。

という段階を経て、ついには、カメムシ研究第一人者の方々まで動かす。特別授業まで開かれるのだ。

カメムシの種類や識別など知ったところでどうしようもない、と思われるだろうか?役に立つ勉強をさせた方がいい、と考えるだろうか?いずれ子供たちは、カメムシの種類など多くを忘れてしまうことだろう。しかし、自分が見つけることができた、自分で調べることができた、そして自分たちで「カメムシずかん」を作り上げることができた、という楽しい体験は、決して忘れられることはないだろう。

「作者のことば」によると、子供たちが採集したカメムシは、専門家の先生たちの手によって処理され、採集データとともに昆虫館に送られ正式な標本になったという。子供たちにとって大きな喜びと自信につながったのではないだろうか。

今月の新刊エッセイ|鈴木海花さん『わたしたちのカメムシずかん』|ふくふく本棚|福音館書店公式Webマガジン

たくさんのふしぎ」編集部によるブログには、取材中の頃の記事が。「たくさんのふしぎ一冊作るには、ながい時間がかかるのです」と書かれている。40ページの絵本を作り上げる裏には、地道な取材、多くの方々の協力、そして創刊号から一貫して変わらない編集方針がある。