こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

アラスカたんけん記 (たくさんのふしぎ傑作集) (第20号)

大竹英洋の”ノースウッズシリーズ”について紹介してきた。

その彼が影響を受けた写真家といえば、ジム・ブランデンバーグ。大竹氏にはほかに「多大な影響を与えた、もう一人の写真家」がいる。

星野道夫だ。

ジムの写真集『Chased by the Light』を読み終えた彼は、謝辞(Acknowledgements)にMichio Hoshinoの名前を見つけ、ジムもまた星野道夫の作品に感銘を受けていたことに驚く。コラム内の訳では端折られているが、原文の最後に「万卒は得易く 一将は得難し」ということわざが付けられている。

Michio Hoshino, who was my stellar example of a nature photographer. Michio made his last trip back to nature in 1996 documenting the grate bears he so honored. He is deeply missed. Bansotsu wa eyasuku, issho wa egatashi

『アラスカたんけん記』は、星野道夫が初めて書いた「ふしぎ」だ。

19歳の時、アラスカに憧れていたこと。アラスカの本を読んでいて、1枚の写真に心ひかれたこと。シシュマレフという村を写したものであること。村に行きたいと思い、手紙を書いたこと。住所も宛名もわからぬまま「村長さんへ シシュマレフ村 アラスカ」と宛先を書いて送ったこと。

大竹英洋もジム・ブランデンバーグ宛てに届くとも知れぬ手紙を書いたが、星野道夫はその30年前に同じことをしていた。大竹は3ヵ月待って返信をあきらめ、直接ジムのところへ飛ぶことにしたが、星野の元には、半年後シシュマレフ村からの返事が届く。そして次の夏、返事をくれたエスキモーのウェイオワナ家へ向かうのだ。

中表紙には、シシュマレフ村のおばあさんに作ってもらった、毛皮でできたパーカーとブーツを身につけた星野氏自身の姿が写されている。『カリブーの足音 ソリの旅(第381号)』でも、大竹氏が着ていた防寒具はムースやカリブーの毛皮で作られていたし、『川は道 森は家(第378号)』でも、伊藤健次氏が履いていたブーツは、現地ヤール村の女性が鹿の皮で作ってくれたものだった。

星野道夫は、山でベリー摘みしてジャムを作ったり、たき火をかこみアザラシやカリブーの肉を味わったり。ノーズウッズで大竹氏が薪ストーブで焼くバノックに舌鼓を打てば、伊藤氏は極東ロシア、ビキン川で獲れたばかりの魚を野外で料理し味わっている。

こんなふうに、自然と共に暮らせたらどんなにか楽しいことだろう。私にできるのはせいぜい山中でのキャンプくらいなものだ。その昔『大きな森の小さな家』シリーズを読んで、インガルス一家が生活する様に憧れたものだが、自然から衣食住を調達するというのは、自然に依存する生活でもある。知識や経験、工夫を積み重ねてもなお、危険と隣り合わせであり、生と死を否応無しに感じさせられる暮らしでもあるのだ。

雑木林の1年 (たくさんのふしぎ傑作集)(第24号)』の「ふしぎ新聞」には、鐘尾氏宛ての質問の他に、星野道夫宛ての質問「オーロラは、どのくらいでなくなりましたか。アザラシやカリブーの肉はおいしかったですか。」も来ていた。星野氏はアラスカから回答を寄せている。

(略)アザラシやカリブーの肉は、とてもおいしかったです。なれるのに少し時間がかかるかもしれません。肉をなまで食べるというのは、へんな気がするかもしれませんが、ぼくたちが、おすしや、おさしみを食べるのと、あまりかわらないのだと思います。

 あっ、そうそう、きのうの夜、空が晴れあがり、オーロラが出ました。

私はこれまで、星野道夫の作品をきちんと見たことがなかった。今回この本を読んで思ったのは、隔絶した自然のなか一人写真を撮っているはずなのに、すごくにぎやかな感じがしたこと。自然の風景にせよ、クマの親子やカリブーなどの動物にせよ、花々などの植物にせよ、なぜか写真がおしゃべりしているような感じがするのだ。作者自身の姿がちらほら見られるから?あるいは文章のせいかな?とも思ったが、写真の持つ力がそう感じさせたのだと思う。亡き後もいまだ人を引きつけ続ける、魅力の一端を垣間見るような気がした。

アラスカたんけん記 (たくさんのふしぎ傑作集)

アラスカたんけん記 (たくさんのふしぎ傑作集)