こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

その先どうなるの?(第142号)

7つ橋のぎもん(第180号)』で、ケーニヒスベルクという実在の街を旅した作者。『その先どうなるの?』でお出かけするのは、架空の遊園地「きりなしランド」だ。

本書は『はてなし世界の入口 (たくさんのふしぎ傑作集) (第2号)』とほぼ同じテーマを扱っているが、テイストは正反対だ。

はてなし世界』が美術館だとしたら、こちらはワンダーランド。

“『はてなし世界』の美術館”が、読者みずから鑑賞する形だとすれば、「きりなしランド」で遊ぶのはパオさん、バナちゃん、エントツくんという3人のキャラクターだ。

ちなみにこの3人、後に『7つ橋のぎもん』でも一緒に旅している。「今から270年ほどケーニヒスベルク」を、“パオさん念願の飛行機形タイムマシーン”に乗って。

 

遊園地、ワンダーランドという言葉のとおり、「きりなしランド」の雰囲気は軽やかだ。

3すくみドーム」でじゃんけん勝負しているのが、

「2年3組 ルードヴィッヒ・パンパカパーン・ベートーベン」

「4年2組 ウォルフガックリ・アンマリデス・モーツァルト

「6年5組 モウ・ヨサンカネ・セバスチャン・バッハ」

の3人(ちゃんと年齢順の学年になっている)なら、

「ハイクはつづくよ、いつまでも」で句会?に誘うのは、カエルの「まつおばしゃん」といった案配なのだ。

「ヤシの木のしげった島」にある売店で、バナナ6本を買おうとしたところ、バナちゃんとエントツくんは大量のバナナを押付けられる羽目に。そこの島に住む人たちにとって、6以上は「ラス(たくさん)」、その先はみな「同じ数」になってしまうのだ。

6以上は、というのは5までは数えるということ。

1=ウラパン

2=オコサ

3=オコサ・ウラパン

4=オコサ・オコサ

5=オコサ・オコサ・ウラパン

と数える仕組みになっている。

 

ウラパン/オコサは『数詞って何だろう―「数える」ことの生い立ちを求めて』によると、

トレス海峡の西部部族の数詞(今から百年ほど前のもの)が2進法の数詞であった(表21). 2つの数詞 urapun, okosa で数えている. 6を ras(たくさん)といっているとあるが, 彼らが5までしか数えられなかったということではないであろう. 5くらいまでしか日常的には数える必要がなかったということである. (『数詞って何だろう―「数える」ことの生い立ちを求めて』p82より)

ということで、 かつて実際に使われていた数詞だ。

同書によると“ブッシュマン”の数え方は、

1:o

2:oa

3:oa o

4:oa oa

5:oa oa o

という仕組み、ウラパン/オコサとそっくりなのが面白い。

ウラパン/オコサは『かずあそびウラパン・オコサ』という絵本にもなっていて、

さるが 1ぴきで ウラパン

バナナが 2ほんで オコサだよ

始まりはやっぱり、バナナが出てきている。

『その先どうなるの?』と違うのは、

おかの うえに いえが

オコサ・オコサ・オコサ

というところだ。『その先どうなるの?』を読んだ子供に、『かずあそびウラパン・オコサ』のこのページを見せたら、いや、これはラスでしょう、と間髪入れずに言ってくれた。これは数あそび絵本なので、ラスで終わってしまっては遊びにもならない。 

本号はその他、ねずみ算浮世根問、面白いところではハノイの塔の話が盛り込まれていたりで、さまざまな「その先どうなる?」の想像を巡らせる仕掛けになっている。

 

はてなし世界の入口 』では、

人間のそうぞうの力にも、はてがない。そしてだんだんと、無限の世界へ人間がはいっていけるようになった。ふしぎな、無限の世界へ。

『その先どうなるの?』でも、 

数の世界での“無限”は“頭の中”だけにあるんだよ

と書かれるとおり、いちばん速いものも、いちばん大きい数も、いちばん小さいものも、いちばん……は、人の想像のなかにだけある。

 

「作者のことば」で、仲田氏は次のようなことを語っている。

人々は太古から、「その先の先はどうなるのだろう」とか、「かぎりなくたくさんのものはなんだろう」というようなことを考え続けてきました。

世界の国々を旅するといろいろな物語、伝説に出会います。その中に「かぎりなく……」というものが数々あることを発見します。そうすると、旅は“かぎりなく”楽しいものになるのですね。

いつの時代も、どこの国でも「その先どうなるの?」が考えられてきた。きりなしランド、はてなし世界が、いつまでも私たちの頭の中にある以上、「たくさんのふしぎ」のネタも尽きることはない。