こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

じいちゃんの自然教室(第209号)

ぼくの島(第138号)』で紹介した『おじいちゃんの小さかったとき』は、おじいちゃんが孫にむかし語りをするおはなしだった。むかし話を聞くのもいいけれど、おじいちゃんと一緒に遊べたらもっと楽しいのではないだろうか。自然のフィールドのなかの遊びなら、なお最高じゃないか?

『じいちゃんの自然教室』はそんな本だ。自然教室なんて名前がついてるけど、じいちゃんは山や川や海で子供たちと遊んでるだけだ。じいちゃんが先生なのは当たり前。近くの山や川や海のことにかけては、じいちゃんに一日の長どころか何十年もの長があるのだから。

「じいちゃんの自然教室」が開かれているのは、高知県安芸市とその近辺。冒頭、アユとりに行こうと急かすきょうだいに、じいちゃんは、川の水が冷たいからと昼ごろまで足止めする。アユの探しかた、アユのとり方など、じいちゃんは惜しげもなくレクチャーする。子供たちの頭が水中に浸かっていれば、じいちゃんだって川に浸かってアユを探している。写真が「じいちゃんが子供たちを見守る図」ではなく、いっしょに同じことをしているのがすごくいい。

 さいしょはじいちゃんに教わったふたりですが、もうなんども、なんども、ふたりで川エビとりをやっています。それでも、初めてわかることがいっぱいあります。

子供が自然のなかで遊ぼうというとき、先達となるガイド、経験豊かな大人の導きがあった方がはるかに楽しい。危険な場所、注意すべき生き物があるし、どんな遊び方があるか、なにをしたら面白いか、教わってからの方がずっと楽しめるからだ。

本当の意味で自然のなかの遊びを楽しめるのは、子供にもよるが、10歳手前くらいからなのではないだろうか。ちょうどこの「たくさんのふしぎ」を、ひとりで読んで楽しめるくらいの年だ。あまりに小さいと、教わっても自分の力だけではできないこともある。一方で、子供は幼ければ幼いほど自然に近い存在だ。自然と同じくコントロールが難しい存在であり、自分自身を制御する力も持たない。そのかわり自然となじむ力を持っている。小学校中学年くらいはちょうどバランスが取れる時期、まだまだ自然との親和性が高い年頃でありながら、自分の力をコントロールすることができる、自然のなかで自分の力を試せるようにもなる時期ではないだろうか。「教室」に参加しているきょうだいも、おそらくそのくらいの年ごろだと思われる。

秋は山のめぐみ。どんぐりひろい、ヤマイモほり、カキとりにクリひろいと盛りだくさん。林業を営んできたじいちゃんは山のプロだ。シホウチクにたまった水でのどを潤す場面があるが、以前職場の同僚から聞いた、イタドリの茎で水分補給できる話を思い出した。今は老齢となった父親からおそわった話だという。“山の知恵”とでもいうべきものだろうが、受け継いで実践する人が少なくなっている以上、こういう知恵も徐々に失われつつあるのかもしれない。

春は山菜。『雪がとけたら 山のめぐみは冬のごちそう(第243号)』にも通じるところがある。定番の山菜以外に、高知ならではなのがハマアザミ。山ではなく海岸でとれる山菜だ。環境の変化でだんだんと少なくなってしまっているようだが、高知ではむかしから食べられてきたらしい。

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じいちゃんは海でも一流の先生だ。ここでも早く海に入りたくてうずうずするきょうだいをとどめ、ちょうどよく潮が引くまで待たせておく。海藻や貝とりに絶好のタイミングは、潮の加減次第なのだ。ツノマタヒザラガイカメノテカメノテは食べたことがあるのでおいしいのを知っているが、ヒザラガイはなかなかとって食べる勇気がなさそうだ。

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最後は山と海、川のめぐみが勢揃いしてごちそうづくり。子供たちも、もちろん料理の担い手だ。およそ20品以上の料理がずらりと並べられたページは壮観だ。なかなか見ないメニューとしては、マツの葉のジュース、カシワのどんぐりだんご、アオダイショウの唐揚げ、といったところだろうか。

アオダイショウ!しかし、アオダイショウはまだまともな部類に入るものだ。「じいちゃん」こと川村陽一郎さんにかかれば、アオダイショウどころか、オタマジャクシやセミの抜け殻まで食材と化してしまうのだから。

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川村さんは本号にも紹介されている、巨大なスズメバチの巣をご自宅で公開しているようで、「作者のことば」にはなんと住所まで明記されている。ギネスからも認定を受けた「世界一大きなスズメバチの巣」だそうだ。

今はもう90近くになられていることだろう。ご健在だろうか。きょうだい二人も成人して、もしかしたらすでに結婚して子供がいるかもしれない。じいちゃんから教わったことを、自分の子供たちにも伝えているだろうか?

合わせて読んだのが『ぼくの観察日記―写真物語*1。これはカッレという男の子が、夏休み、スウェーデンの森の奥にすんでいるおじいちゃんといっしょに過ごすお話だ。

おじいちゃんの家は「100年以上もまえに、おじいちゃんのおとうさんがたてた」もの。『スウェーデンの 変身する家具(第405号)』にもあったように、こまめに手入れを続けながら暮らしてきたのだろう。

部屋の中で虫めがねを見つけたカッレは、翌朝はやく裸足のまま飛び出して、自然観察に夢中になる。カッレが持つ虫めがねを目にしたおじいちゃんは、おばあちゃんが残したものだと教えてくれる。朝ごはんの後はおじいちゃんと森の散策だ。おじいちゃんは森の生きもののことならなんでも知っている。まさに「じいちゃんの自然教室」だ。

もっとも川村じいちゃんが自然のなかで遊びまくる実戦派なら、カッレのおじいちゃんは自然観察の後に、関連した本を読んでくれたり、いっしょに図鑑を見たりする頭脳派。どっちのじいちゃんも素晴らしい先生だ。

『おじいちゃんの小さかったとき』を地でいくように、カッレのおじいちゃんはむかし話も語ってくれる。むかし話だけでなく、話に登場する、近辺にすむおじいちゃんの幼なじみと顔を合わせたりするのだ。おじいちゃんと幼なじみが子供のころ遊んだ話というのが「森に小屋をたてたりして」というのが、なんともスウェーデンらしい。

カッレは8歳。とある日にはひとりで森の観察に出かけたり、おじいちゃんと池で釣りをしたり。やはり、自分の力を試したいし試せる年ごろだ。釣りは、川村じいちゃんと違って、カッレのじいちゃんが坊主だったのはご愛敬というところだろうか。「じぶんでつったさかなは、じぶんでりょうりすること」ということで、カッレはおじいちゃんに捌きかたを教わりながら、自分で釣り上げたパーチをフライに仕立てていく。「こいつは、いままでにたべた中で、さいこうのパーチだね」というおじいちゃんの言葉は、カッレにとって何よりの喜びだったことだろう。

釣りの場面で感心したのが、

カッレは救命胴衣をつけています。おかあさんとやくそくしたのです。救命胴衣をつけずに、池やみずうみに行かないって。 

というところ。原著では1975年、訳書では1983年出版の絵本に、ライフジャケットの必要性がすでに書かれているというのが画期的だ(もっともおじいちゃんの方はライフジャケットを着けていない)。今でこそ日本でも、水遊びの現場での、ライフジャケットの重要性が叫ばれてきているが、それでもライフジャケットで防げるだろう水の事故は後を絶たない。

水難事故等に関するQ&A(よくある質問) - 岐阜県公式ホームページ(河川課)

いま『じいちゃんの自然教室』をつくろうとしたら、おそらくきょうだいも、川村じいちゃんも、ライフジャケットを着けて川に入っている写真を使うことになるだろう。 

 

釣りのあと、スイレンを観察しようと虫めがねを取り出したカッレは、観察中うっかり池のなかに落としてしまう。おばあちゃんの、大切な虫めがねをなくしてしまったカッレに、おじいちゃんはこう声をかけるのだ。

「カッレは、森にいるあいだに、虫めがねで、あんなにたくさんのものを、みつけただろう。だからもう、虫めがねのやくめは、おわったんだ。自然観察のほうほうをおぼえたんだから、虫めがねなんてなくったって、どうってことないよ。」

『じいちゃんの自然教室』、『ぼくの観察日記』、そして『おじいちゃんの小さかったとき』……おじいちゃんたちが積み重ねてきた経験や知恵や思い出は、子供たちへの貴重なそして最大の贈りものだ。老いさらばえて死を迎えるその姿も含めて。子供たちがその価値を理解するのは、大人になり子をもつようになってからなのかもしれない。おじいちゃんおばあちゃんは、いつだって子供たちの大切な先生なのだ。

*1:原著は『Förstoringsglaset(虫めがね)』というタイトルで、1975年に出版されている。