先日、草山万兎こと河合雅雄先生が亡くなられた。
「たくさんのふしぎ」では、
『庭にできたウサギの国 (たくさんのふしぎ傑作集) (第4号)』
そして『野生動物の反乱(第313号)』
3冊を手がけている。
以前も書いたが、霊長類学者だというのに「ふしぎ」では、ただの1冊もサルを描いていない。
こどものころ、ぼくは昆虫が大好きだった。とくに蝶々と甲虫が好き。ひまさえあれば昆虫採集にでかけた。めずらしい蝶をとったときは、学校で100点をとったときよりうれしかった。オオムラサキは、あこがれの蝶だった。
学校で100点……我が家の息子とて、珍鳥を見られた&撮れたら、そんなんよりうれしいだろうけど。虫は見るだけじゃなく、捕まえてさわれるからいい。あまつさえ、標本にすることだってできるのだ。鳥相手じゃこうはいかない。
いっしゅんの後、オオムラサキはぼくの捕虫網のなかにあった。この感激を、一生忘れないだろうと、ぼくは思った。美しい青紫に輝くあこがれの蝶をほれぼれと見ながら、たくさんのオオムラサキが舞う森を夢見た。10歳のときだった。
それから実に62年!「昆虫少年の夢」をかなえる舞台となったのは、兵庫県立丹波の森公苑。「オオムラサキ舞う森」を作ろうというのだ。
オオムラサキは、1957年、国蝶に指定されたが、今は準絶滅危惧種にも指定されて、放っておいたら絶滅の可能性があるほど数は少ない。
現在もなお、準絶滅危惧種に指定されたままだ。
まずは環境整備。幼虫が食べるエノキを植える。成虫のためにはクヌギ。オオムラサキのためだけでない。ゴマダラチョウ、ヒオドシチョウ、テングチョウの蝶たちや、カブトムシ、スズメバチなど、他の生きものたちが生きる場にもなる。
エノキとクヌギは、オオムラサキを待ってくれている。もうオオムラサキを放しても大丈夫。さあ、放蝶(飼育した蝶を自然に放すこと)の準備だ。
ん?待てよ。飼育した蝶を自然に放す?人工飼育のをそう簡単に放しちゃっていいの?ほら、遺伝子汚染の問題とか……。
そこはさすがプロ。
人工飼育は「橿原市の昆虫館からもらった幼虫・成虫」と「地元で採集した幼虫」で始まった。幼虫のDNAを調べたところ、橿原と地元のものはまったく同じ。しかし万全を期して、放蝶は地元産のものだけに限ることにしたのだ。人工飼育を担ったのは、
10ページからは、オオムラサキの生活史。写真をふんだんに使って、余すところなく説明されている。実に本号の半分あまりのボリュームだ。
初っ端、葉っぱへの産卵、びっしり卵がつく様子は、ちょっとぞわぞわしてしまった。二齢幼虫は角がピッと生えてかわいらしい。この角はただの飾りじゃない。クモなどに襲われそうになったとき、吹っ飛ばしたりする武器になるそうだ。
卵から、幼虫、蛹、孵化まで……こんなにも形態が変わるものなんだ!と驚きの連続だ。人間の子供だって、さまざまな変化が起こってるだろうけど、飼育中はなかなか気づきにくいものだ。あとからこのように、写真で振り返って驚くしかないのだろう。声変わりしてきたなーというのはさすがに気づいたけど。昔はかわいらしい声だったのなあ。なんかドスがきいてるし……。
注意すべきはやはり天敵だ。寒冷紗で覆われていても、防ぐのは限界がある。卵はナメクジに食べられたり、寄生バチにやられたり。タマゴクロバチが産みつけにくる写真がある。幼虫の天敵は数え切れないほどだ。蛹になると逃げられないが、体を激しく震わせアリなどを追っ払う。オオムラサキが増えれば、狙う天敵もそれだけやってくるのだ。
面白かったのが成虫のエサ。ケージ内のクヌギだけじゃ足りないので、人工餌を作っている。
カルピス2、しょうちゅう1、水17の割合。においに誘われて蝶が集まるよう、熟したバナナを人工の餌のそばにおいてやる。
焼酎!?カルピス割り!?垂れ流しのクヌギ樹液に虫が集まるとこを、“クヌギ酒場”なんて呼び習わすけど、まさか本当にアルコールが使われるとは。
2009年3月、子どもたちの手で、新たにエノキ200本が植えられた。
10年たち20年たち、エノキは大きくなり、日本一のエノキの森ができるだろう。クヌギ林もりっぱになり、オオムラサキが舞う森で、未来の昆虫少年たちが、昆虫がたくさんすむ森を楽しむだろう。
今や10年あまりが経った。「未来の昆虫少年たち」がオオムラサキ舞う森で、あらたな「夢」を紡いでいるに違いない。
国蝶オオムラサキの様子 | 東京たま広域資源循環組合-ごみの最終処分から、資源循環へ
オオムラサキの見学会こそ行ったことはないが、処分場見学会に参加したことがある。残念ながら、この6月の見学会は中止になってしまったようだが、来年度はきっと会えることだろう(昨年中止になったさまざまなイベントだって、今年こそと思っていたはず。今年も中止を余儀なくされるような状況が続くなんて、思いもしてなかった……)。