今年度のラインナップをながめてた時、「ヒキガエルとくらす」が目に飛び込んできた。
『アマガエルとくらす (たくさんのふしぎ傑作集)(第168号)』の山内さんだな、と思ったら案の定だ。アマガエル14年なら、ヒキガエルは18年!どんだけカエル好きなんだ。
『アマガエル』もそうだったが、スッと生活のなかにカエルが入りこんでくる。その自然さときたら、かえって不自然なほどだ。
考えてみたら不自然だとする方が自然なのだ。だって野生の生きものを
ひとに飼われているクロちゃんは、飼育されるなかで“学習”し、自然界では見られない行動も見せる。
自然での観察では見られないものを見せる。
飼育中のコガネグモにお刺身をお裾分けした甲斐さん(『まちぼうけの生態学 アカオニグモと草むらの虫たち (たくさんのふしぎ傑作集)(第317号)』)とも通じるところがある。こんなことしてみたらどうだろう、という素朴な好奇心は実にチャーミングだ。
もちろん、クロちゃんが生まれもった警戒心を発揮する場面もある。
どちらのシーンも、山内さんの生活のすぐ隣にあるものだ。
洗濯物を干すとき、畑仕事をしているとき、縁側でひと休みしているとき……。
「ヒキガエルとくらす」「クロちゃんとすごした」のタイトルどおり、クロちゃんは単なる観察の対象ではなく、家族の一員なのだ。お父さん(山内さんのご主人)からも大事にされている。散歩もすれば、立派な小屋だってある。犬もびっくりだ。てかパブロフもびっくりの条件反射だって見せてくれるんですよ。
山内さんのお人柄か、カエルのひとり語りで始まるからか、昔ばなしを聞いているような不思議な時間が流れている。一つ一つのエピソードは18年もの時間のなかで、ほんの一瞬を切り取ったものにしか過ぎない。それなのに、長い時間が流れた感じもするし、今もクロちゃんがいて山内さんと過ごしているような感覚もある。時計ではかるような時間軸というものは、この本では意味のないものかもしれない。
昔ばなしと同じで、結末もわかっている。
「今もクロちゃんがいて山内さんと過ごしているような感覚」のなかでは、結末まで辿り着きたくない、まだまだクロちゃんの話を聞いてたい、と思ってしまう。だから後半にくるにしたがってページを繰る手が遅くなってしまった。たった40ページなのに、読むのを中断して家事に取りかかってしまったくらいだ。
そのとき、の描写は昔ばなしと同じくあっさりしている。悲しみより何よりこれが自然なのだ、と決まった運命を受け入れるような気持ちにもなった。
もうこんな絵本が出ることがあるかなあ……。
山内さんは、
しかしそうした自然は急速にうしなわれ、わたしたちを包んでくれるはずのまわりのようすは、大きく変わってしまいました。
と書いているが、この絵本は、山内さんが過ごしてきた自然と時間があるからこそ、成り立っているものかもしれない。
『アマガエル』は片山さんだったが、『ヒキガエル』は沢野さん。どちらもこれしかないというベストなカップリングだ。いや、「これしかない」なんて強い言葉は似合わないな。読みながら自然とイラストが目に入ってくる。よくよく見ると、このシーンをこんな感じで表現してるんだという驚きもある。脱皮の様子とか面白い。38ページ、片隅に転がった「カエルの本」が、クロちゃんの不在とそれまでにかけた愛情を表しているようで、しみじみ心にきた。
「今月号の作者」紹介欄を見て、驚いたのは山内さんのお年。1925年生まれってマジですか!?先日亡くなられた女王より年上ではないですか!作品の前では、作者の年齢などどうでもいいのかもしれないが、よくぞ健在でいらしてこの絵本を出してくださった、と思わざるを得ない。
<2023年3月7日追記>
『津津浦浦(第456号)』で北浦(美里町)について調べる途中、面白い本が見つかった。
北浦にお住まいの方の自費出版絵本だ。その名も『まってるよ ケロちゃん』。
ななちゃんは、だいどころで小さな「土がえる」を見つけました。
まどがあいているのに、出ていきません。
「かえるさん どこから来たの?」
あらあら、どこかで聞いた話じゃないの(『アマガエルとくらす (たくさんのふしぎ傑作集)(第168号)』)。あっちが洗面所ならこっちは台所。どっちも流しがあるから水に引かれてやってくるのだろうか。
次のページでは、早くもハエをつかまえて餌付けしている。その後の展開もこうだ。
かえるに、ケロちゃんと名前をつけました。
おじいちゃんもせっせと虫をさがしては取って食べさせてくれました。
名前つけたり、家族も協力してかわいがったり。
家に入りこんできたカエルに、家族ともども取り込まれてしまうってよくある話なのか!
しかしさすがに、もう一匹が入りこんできたときは、
おじいちゃんは、「ちばさんの家はごちそうがいいから、と聞いて入ってきたんだよ」といってみんなを笑わせました。
でもケロちゃんのえさをさがすだけでも大変なので、「かえるさん ごめんね」といっておじいちゃんに外へはなしてもらいました。
山内さん家ならもう一匹も飼っていたはずだろう。
面白いのは、
ケロちゃんが、はかりに乗っていました。
そうだ! ケロちゃんのたいじゅうは、ケログラムにしようっと。
というところ。素朴なユーモアが絵本らしい。
エサがないときには、家族の食事をお裾分けしたり。来て1ヶ月のお祝いには、おばあちゃんの手作りケーキをふるまったり。
掃除のついでにクモを捕まえたり、駅の待合室(北浦駅だろうか?)で虫をさがしたり。生活のなかにケロちゃんが入りこんでいるのは山内さんのとことおんなじだ。
今日から5日かん、りょこうに出かけます。
ケロちゃんの大すきなくもを2ひき食べさせて、外へはなしてやりました。
ごめんね、ケロちゃん!
このあたりの自由さも面白い。
秋も深まったころ、図書館で冬眠について調べて帰ってきたら、もうケロちゃんの姿はなかったという。
3ヶ月の間、私たち家族を楽しませてくれました。
しかし、翌秋ケロちゃんはひょっこり姿を見せてくれたそうだ。この辺の出入りも山内さんのとことそっくりだ。
作者が絵本を作るきっかけとなったのはとよたかずひこ氏の講演だったという。ケロちゃんとの出会いを絵本にしたいと思っていたところ「絵は下手でもいいんですよ」とアドバイスされたそうだ。司書の方々の指導のもと、完成に至ることができたという。