こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

旅をするチョウ(第211号)

 わたしが、はじめてアサギマダラを知ったのは、1996年11月9日の新聞の夕刊でした。

 その年の秋、アサギマダラというチョウが、宮城県蔵王山から愛知県の知多半島まで飛んできたことや、知多半島から鹿児島県の喜界島へ飛んでいったことが確かめられたという記事があったのです。

「旅をするチョウ」にピンときた方もいるかと思う。本書の主人公はアサギマダラという蝶だ。子供といっしょに読んでたところ、夏に見たでしょって言い出した。

ほらーこれに書いてるとおり、蔵王にいたじゃん。ハイキングルートで写真撮ってた人いたでしょ。

ああ……そうだったっけ〜。

はー、どういう失念ぶりか。つい最近、現物を見たにもかかわらず、そんなことも意識にのぼらず漫然と読んでいたなんて。子供に教わることはまだまだ多い。

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蔵王のアサギマダラ(2020年8月 息子が撮影 

 

著者は、マーキングという調査方法で、蝶の旅が確認されていることを知り、マーキング場所の一つである、内海フォレストパークに手紙を出す。フォレストパークというから、自然公園みたいなのを思い浮かべてたら、調べてみるとアウトドアレジャー施設。そしてなんと、この号が出た2002年10月のわずか1年後には閉園の憂き目にあっていた。

内海フォレストパークから来た資料の中には、マーキング会の案内のほか「アサギマダラを調べる会」の情報もあった。この「アサギマダラを調べる会」は、1983年日浦勇氏の呼びかけで始まったものだ。日浦先生といえば「たくさんのふしぎ」でも、『バッタのオリンピック (たくさんのふしぎ傑作集)(第6号)』や『セミのおきみやげ (たくさんのふしぎ傑作集) (第29号)』に関わっておられる。こう見ると先生は、特段昆虫に興味のない人たちにも、気軽に虫と触れ合ってもらいたい、虫と遊んでもらいたいと考えて、活動されていたのかもしれない。

気軽に虫と触れ合う、虫と遊ぶ。マーキング調査は、手軽にできるわりに、スケールの大きな楽しみ方だ。アサギマダラを捕獲して情報を書き込む、あるいは情報を読み取る。蝶を通じて、遠くの見知らぬ誰かとつながることができるかもしれないというのは、ワクワクするようなことだ。

 わたしがマーキングしたチョウが、遠くでだれかにとらえられ、それが縁で、知らない土地の人と友だちになる。そんなことを想像すると心がわくわくしてきて、一日も早くマーキングがしたいと思いました。

野鳥の世界も、ボランティアバンダーさんによる鳥類標識調査がおこなわれているが、気軽にできることではない。調査活動には、充分な訓練や講習会受講の上、資格の認定が必要となるのだ。以前訪れた焼尻島でバンダーさんの活動を見せてもらったことがあるが、羽のようすから推定年齢を識別するのに勉強が欠かせないし、ストレスをかけないように注意したりで、かなり神経を使う作業のようだった。鳥が好きレベルで到底できることではなく、明確な目的意識と熱意が必要なのだ。

気軽手軽と書いたが、アサギマダラのマーキングだって、いきなりすぐできることではない。始めるにあたっては、記録方法を知ったり、道具などそろえる必要もある。そもそもアサギマダラを見つけるのだって、そう簡単にはいかないのだ。

マーキング方法

著者も、最初の調査に胸をふくらませて出かけたものの、空振りに終わっている。チョウが来るといわれる2ヵ所を、朝から夕方まで探したものの1頭も見つけることができない。二度目に訪れたときは、先達の人に見つけてもらったものの、今度は捕虫に失敗。その人から上手な捕虫方法を教えてもらうが、その日はもう見つからずという始末。思えば、私たちもバードウォッチングで、先輩たちにいろいろなことを教わったものだ。時期を逸せずフィールドに出れば、初心者を導いてくれる“優しい先生”が必ずいる。

再度仕切り直して別の日。内海フォレストパークで、念願かなって捕まえた最初の1頭には、すでにマーキングが!遠くから飛んできたものではなく、1週間前に内海フォレストパークでマーキングされた個体だった。しかし、記録は記録なので、そのチョウにマーキングを施し、記録用紙に記録をつける。

バンディングも、小鳥のあのほっそい足にプライヤでキュッと足環を施すようすは、ひえっ……足折れないんか!?と驚くほどだが、アサギマダラもあんなやわそうな羽に、油性ペンで書き込みなんかして大丈夫なん!?という感じだ。本書によると、鱗粉のついていない半透明な部分を利用して書き込むようで、また翅や胴体も思いのほか丈夫なものであるらしい。

マーキングの醍醐味は、自分がマーキングした個体を捕らえてもらうこと。

調べてみると、ここ数年、日本中で毎年約1万頭のチョウにマーキングがされていますが、移動したチョウがもう一度とらえられるというのは、そのうちのわずか30頭から40頭ぐらいでした。 わたしがマーキングしたアサギマダラをどこかでもう一度とらえてもらうためには、300頭くらいにマーキングをしなければならないことになります。

数打ちゃ当たるじゃないけど、勝負は量なのだ。地元で細々やってるだけじゃ埒が明かない……ということで考えついたのは、チョウが多くあつまる場所へ旅をすること。お前がアサギマダラか!「来年の夏には、関西へ家族で旅行して、比良山へも足をのばそうと心に決めました」って……家族も一蓮托生かーい。

その後もアサギマダラを追って、地元県内はもちろんのこと、高知の室戸岬、そして鹿児島は喜界島まで足をのばしていくのだ。台湾でマーキングされた個体が鹿児島と滋賀で見つかったという情報を得、日本から台湾への渡りを確かめるため、とうとう与那国島にまで飛ぶことになる。“鳥屋”もたいがい移動好きだが、ムシ屋も負けてない。リゾート感満載のトロピカルな島にやってきたのに、やることといえば捕虫網を振り回すこと。海そっちのけ、スコープ担いで歩き回るトリ屋といい勝負だ。 

写真を担当している佐藤英治氏は、著者佐藤広氏のご兄弟だ。ご自身も『渡りをするチョウ―アサギマダラのふしぎ』という本を出している。

 「海を越えて旅するチョウがいるよ」

 兄から聞いたこのことばが、アサギマダラを追うわたしの旅のはじまりでした。(『渡りをするチョウ―アサギマダラのふしぎ』より)

広氏は、自身のご家族ばかりでなく、ご兄弟をも巻き込んでいたのだ!この本には英治氏の奥様の方もマーキングに参加していることが書かれている。英治氏は動物写真家なので、興味をひかれて不思議はないが、それにしても奥様まで!縁戚ふくめ総出のマーキングなら、たしかに数も稼げる。もっとも家族たちも、しぶしぶ巻き込まれたというよりは、楽しんでやっているのだろう。これまで行ってみようとも思わなかったところへの旅は楽しいものだし、目的があればなお楽しめる。離島はお金も時間もかかってしようがないけど……。

↓このページには、佐藤ご兄弟の記録が少し載っている。

2001年秋 喜界島のアサギマダラ

もう1冊読んだのが『謎の蝶アサギマダラはなぜ海を渡るのか?』。著者の栗田昌裕氏は、10年のあいだに、なんと13万頭あまりにマーキングした「一番多くのアサギマダラに出遭った人」なのだ。本書によると、アサギマダラの最も深刻な天敵は寄生生物らしい。マダラヤドリバエをはじめとするヤドリバエ科の昆虫は、アサギマダラの食草に卵を産みつけ、その食草を卵ごとアサギマダラの幼虫が食べることによって寄生するという。さらに上をいくのは、やはり寄生バチ*1。 キスジセアカカギバラバチも、同じく食草に卵を産みつけるが、マダラヤドリバエの卵といっしょに寄生バチの卵も食べられることによって、アサギマダラ幼虫体内で、ハチがハエの体内に寄生するのだという。マダラヤドリバエがアサギマダラの蛹から脱出して蛹になった後で、寄生バチはマダラヤドリバエの蛹からさらに脱出するのだ。まったくもう、ホントややこしいことするんだから、寄生バチは。キアシブトコバチなどもアサギマダラに寄生をかけるらしい。

およそ10年にわたる調査でわかったことを惜しげもなく書いた、素晴らしい本であることは間違いないのだが、流れる雰囲気はちょっぴり独特だ。 

 実際に多くのアサギマダラに触れてみて、改めて「実に不思議な生き物」だと実感しました。

 特にアサギマダラが結ぶ「出会いの不思議」を感じました。

 すなわち、アサギマダラに人間が関与することによって、逆にアサギマダラ集団が人間集団を結びつけていく。

 そこにこれまでにはない出会いと関わりのネットワーク(昔風の言葉で言えば「ご縁」)が結ばれていく。

 その結ばれ方に「不思議なルール」があるように感じられるのです。

 そこを言語化するのは難しいので、明確に言語で表せないながらも、わたしのさまざまな思いや予感、予想、直観が、アサギマダラの再捕獲を通して、明確に具現化されているように見えました。(『謎の蝶アサギマダラはなぜ海を渡るのか?』93〜94ページより)

著者栗田氏は、東大院の数学科を修了した後医師になり、医学博士、薬学博士の学位ももつ、いわば理系の学者さんなのだが、ことアサギマダラに関しては「心を探る旅」なんて言葉も飛び出してきて、なかなか不思議な雰囲気だ。

出発点で数学を学んだからではないかと前置きして、こんなことも書いている。

 不思議なことに、数学を学ぶのに感覚は不要なのです。

 数学を探究するには、物質の知識も、物質的な道具すらも不要なのです。

 数学を探究するには何が必要なのでしょうか。

 それは一言で言えば「心」です。

 心は「意識」と言い換えてもよいでしょう。用いる用語にこだわらないでください。

 「それを知るのに、物質の知識は要らない」、「それを動かすのに、物理学の知識も化学の知識も、工学の知識も要らない」。心とはそういうものです。

 興味深いことに、物理学の例でわかるように、すべての物質の世界は数理現象としてとらえられ、数式で表現されます。

 ということは、数理現象は物理現象の枠の外にある世界であることを示唆します。

 すると人が数理現象を理解できることが実は非常に不思議なことだとわかります。そこが納得できたら、では地球に存在する人間以外の生物も、数理現象がわかるかもしれないと考えてみてください。

 ただし時間の無駄となるような議論はやめましょう。

 大事なことは、物質の世界が物理学のさまざまな法則で成立しているように、心の世界にも法則があるのではないかということです。(『謎の蝶アサギマダラはなぜ海を渡るのか?』238〜239ページより)

地球に存在する人間以外の生物も、数理現象がわかるかもしれないと考えてみてください

ふと、『アリになった数学者(第390号)』を思い出してしまった。