こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

手紙で友だち 北と南 (たくさんのふしぎ傑作集)(第60号)

これは、二つの学校の児童たちが、1年間、毎週手紙を交換し続けた記録の本だ。

二つの学校とは、北海道は北見市にある開成小学校と、沖縄は北谷町にある北谷第二小学校。北海道と沖縄だから「北と南」だが、自治体名にはどちらも“北”がつくから面白い。

北谷二小は「1学年2〜3クラスで、生徒総数560人。まあふつうの大きさの学校」だ。

一方の開成小は「1年生から6年生までぜんぶで16人の小さい学校」。2学年ずつの複式学級になっている。

こんな規模の違う学校同士、どうやって手紙をやり取りするというのか?

開成小は全校児童が参加するのに対し、北谷二小の方は3年1組の31人が交流することになる。

手紙のやり取り、てっきり郵便かと思いきや、活躍するのはなんとファクシミリ。今なら電子メールになるだろうが、取材当時(おそらく)1988年、パソコンも普及していない頃だ。一般家庭用ファックスも、世帯普及率のデータすらないとき*1なのだ。まして都市部ではなく、地方に住む子供たち、ファックスを見るのは初めてという子も多かったのではないだろうか。

ファクシミリって知ってる?電話ににている。電話線を通して、いっしゅんに相手につたわる。でも、つたわるのは声ではなくて、字とか絵とか紙にかいたものなんだ。だから、「しゅんかん手紙はいたつ機」だと思っていい。

北海道と沖縄だと、郵便なら二日はかかる。毎週やり取りするのに二日のタイムラグは大きい。最初の交信は、お互い本当に楽しみだったことだろう。送信側の開成小も受信する方の北谷二小も、みな興味津々に機械を見つめる様子が面白い。

 ファクシミリでの定期交信は、週に1回、月曜日ということにきまった。家で書いてくる子もいるし、教室でおおいそぎで書く子もいる。グループ別に、学校や町のようすを知らせるほかに、返事をもらいたい人あての手紙もぐんぐんふえていった。

本書には、実際やり取りした手紙の一部とともに、現地で取材した両校の様子も盛り込まれている。

5月16日に、開成小の子が「14日の朝の気おんは7℃でした。学校のまどから見える山には、雪が白くふっていました。」と書けば、

5月30日、北谷二小からの手紙には「5月28日(土ようび)プールびらきでした。」との文言が。7ページの写真のキャプションには「6月になると、あつい日が多い。教室にクーラーがついた。」と書かれている。クーラー?沖縄がいくら暑いといっても、この時代に冷房を完備している小学校は少ないはずだ。なぜクーラーがあるのか、それは後のページで判明することになる。

かたや雪が見え、かたやプール開きが。お互いずいぶん環境が違うことに、さぞかし驚いただろう。ちなみに5月28日の気温は、北谷で26℃、北見で17℃だったそうだ。(土ようび)も授業があるところが、時代を感じさせる。

6月21日の通信は、日曜日、開成小が地区あげての運動会を開催したことを知らせるもの。子供たちばかりでなく、大人たちも参加しての運動会だ。写真には「開成地区のほとんど全員がうつっている」とのキャプションが。地域の運動会こそなかったものの、私の小学校の運動会でも、紅白リレーのほかに「地区別対抗リレー」などあったものだ。

一方、6月27日、北谷からは、6月23日「慰霊の日」についてのファクシミリが。北谷二小の、ある児童のおじいちゃんは「沖縄本島の南のはし、摩文仁まで追いつめられ、そこでたくさんの人といっしょに戦死した」そうだ。この日、沖縄は休日なので、おじいちゃんの部隊の慰霊祭に行ったようすが写されている。

7月4日、開成小では、届いた「慰霊の日」の新聞をもとに、5・6年生が感想を書いて送っている。同時に北谷二小からは「きのう、軍用地(アメリカのきち・・)のカーニバルにいきました。軍用地の中は、私たちがすんでいるところより、ひろかったです。」と書かれた手紙を受信している。

この「軍用地」の話は、26〜27ページ、10月4日のやり取りでも詳しく書かれている。北谷二小から送られた、北谷町の地図を見た開成小から質問状が届いたのだ。当時、北谷町は5分の3が米軍基地で占められており、いまも町の大半が軍用地のままだ。北には嘉手納基地が続いており、北谷二小はそのすぐそばにある。

北谷町と米軍基地 北谷町公式ホームページ

ジェット機の爆音がうるさいから、学校の窓は、二重窓になっている。だから、クーラーがどうしてもいるんだね。

北谷第二小からの返信には、防音装置が付いているので窓を開けなければうるさくないこと、嘉手納基地では1日200回あまり飛行機が飛ぶこと、基地の中の「黙認工作地」の話まで書かれていて、なかなか興味深かった。質問状で開成小が「北谷小学校」と書き違えているのに対し、北谷二小の子が「ぼくたちは、北谷小ではありません。北谷第二小です。まちがえないでください。ファクシミリが北谷小にいっちゃったらたいへんだよ。」と返信した、そのままのやり取りが載っているのも面白い。

先の戦争のこと、沖縄の置かれている現状……本にすると、どうしてもワンテーマで作る方向になりがちだが(もちろんそういう本も必要だ)、別のテーマの本に“生活の一部”として盛り込むことで、ほかの側面から見せることもできるのではないだろうか。「たくさんのふしぎ」の中には、戦争を取り上げたテーマのものもあるが、どれも真正面からではなく、ちょっと違う方向から見せるということを意識しているように思う*2

夏休み・冬休みの違いも、びっくりしたのではないだろうか。北谷二小の夏休みは、7月21日〜8月31日で42日間あるのに対し、開成小は7月27日〜8月19日の24日間。かわりに開成小には、冬休みが26日間もある。

 8月20日、開成小の夏休みはもうおしまい。さっそく北谷第二小にファクシミリで通信したけれど、そっちはまだ夏休み。からっぽの教室でファクシミリが出てくるようすを、3年1組の写真をとっている嘉納さんが、見にいってくれた。

作者の斎藤次郎氏は、夏休みになんと、北谷二小の児童の家に泊まりに行っている。ちょうどお盆の日、本には沖縄のお盆の様子も盛り込まれている。沖縄のお盆の儀式は、なかなか独特だ。とはいえ、盆正月というのは、みな“独特”の類になってしまうものだろう。自分のところ以外のものは。私たちは転勤であちこち回っているが、いちばん地域性に驚かされるのが、盆正月用品だからだ。たとえ東京であっても、府中市内など、大國魂神社に残る言い伝えにより、松を使った門松を作らない風習があったりする(七不思議について|大國魂神社)。

お互いやり取りするなかで、地域にまつわる「なぞの言葉」も多かったのではないだろうか。たとえば、沖縄の「バンシルーの木」に対し、北海道は「おんこの木」。開成小からの手紙に書かれた「霜注意報」に、北谷二小からは「“しも”とは、なんですか。おしえてください。」なんて返信があったり。北谷二小の校庭で「パッションフルーツ」がなっていた報告があれば、開成小の校庭では「きょねん、こおった鉄ぼうに舌をつけて、皮がむけて血がでて、病院行きになった人がいたんです。」という、背筋が凍るようなお知らせもあった。

本の中には、「開成小学校のみなさんへ」とか「おきなわのみなさんへ」など、全体に宛てたもののほか、個別の手紙のやりとりも載せられている。(以下注:実名部分はイニシャルに変更している。)

とくに、開成小の3年・SKや4年のFYHSには、手紙が集中するので、1回に13枚も返事を書いたこともある。

友だち付き合いの得意・不得意ばかりでなく、手紙を書くことの得意・不得意もあるし、致し方ないこととはいえ、手紙がこない子はちょっとさびしかっただろうなあと切なくなった。なかには、

🔴くん!

 へんじがこないよ。たった今、なにか書いておくってね。おくらなければ、おまえ、ぐそう〔うらむこと〕。YM

🔵YMくんへ

 おてがみださないで、ごめんね。4年 YT

なんて子供らしいやり取りもある。

巻末には、手紙の交換に参加した全員の写真が載せられており、両校の子供たちにとって良い記念になったのではないだろうか。今はプライバシーの問題もあるので、とても作れない本かもしれない。

現在、北谷二小は当時と変わらぬ児童数で存在しているが、開成小の方は1995年3月をもって閉校している。この号が出版された、1990年3月からわずか5年後のことだ。

本書には書かれていないが、1年間の交流が終わったのちにも、個別のやり取りはあったことだろう。もしかしたら、どちらかに足を運んで、その後実際に顔を合わせた子供たちもいるかもしれない。今や、本に出てきた子供たちの中には、当時の自分と同じ年の子を持つ人もいることだろう。大人になった今でも交流が続いている“友だち”はいるだろうか?