こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

ニホンミツバチと暮らす(第283号)

ハチヤさんの旅 (たくさんのふしぎ傑作集) (第26号)』は、「蜂屋」つまり仕事として「蜂と旅する」話だった。

一方、こちら『ニホンミツバチと暮らす』は、趣味として「蜂と遊ぶ」話になる。

舞台となるのは宮崎県日向市東郷町そして椎葉村。宮崎県の県北にある地域だ。作者はこの地域で、伝統的な山の暮らしのあれこれを記録し続けてきたという。ニホンミツバチとの関わりもその一つだ。

ここで行われているのは、“丸洞養蜂”という伝統的な養蜂。

巣箱は丸太をくり抜いて天板の屋根をつけただけのもの。ブンコと呼ばれている。

丸洞式巣箱とその作り方

ブンコを山の斜面など設置し、自然にニホンミツバチがすみつくのを待つこともあれば、群れをつかまえてきて、空のブンコに巣を作らせることもある。

だから、あまりたくさんの蜂を飼うことはできないし、ミツも多くはとれない。商売にはならないのだ。

山のおじさんたちがニホンミツバチを飼うのは趣味のようなものなのです。

ニホンミツバチの体長は働きバチで10〜13ミリ、セイヨウミツバチと比べ、小さくて黒っぽいためハエとも見紛う外見のようだ。

今売られるフツーのハチミツのほとんどは、セイヨウミツバチを使って作られたもの。セイヨウミツバチは、ニホンミツバチの10倍ものハチミツを取ることができる。ここが大きな利点だ。

しかし、ニホンミツバチにはセイヨウミツバチにはない利点がある。ミツバチ特有の伝染病に強いこと、天敵であるスズメバチオオスズメバチ、キイロスズメバチに対抗する独特の方法をもっていること、である。

先に「群れをつかまえてきて、空のブンコに巣を作らせる」と書いたが、どうやって群れをつかまえるのか?ミツバチは春から初夏にかけて分蜂と呼ばれる巣別れの時期をむかえる。春、ブンコのなかでは女王バチの産卵が始まり、働きバチ、雄バチ、そして新しい女王バチの卵が産み落とされる。新しい女王バチが羽化する直前に、巣の女王バチ(母バチ)は半分くらいの働きバチを引きつれ、新しい巣を作るべく出てゆくのだ。この巣を作る前、一時待機中の群れをつかまえるというわけだ。

分蜂(ぶんぽう)とは?ニホンミツバチが増える仕組み

こう書くとなんだか簡単そうに見えるが、実は分蜂中の群れに出会うのはなかなか難しい。作者も毎年見にきてやっと3年目で見られたと書いている。

巣の手入れも大変だ。

冬越し中ミツが足りなくなることもあり、飢えたミツバチたちが巣をかじったりする。その巣クズが大量に溜まっているのだ。巣クズが溜まっているとスムシ(ハチノスツヅリガ、ウスグロツヅリガの幼虫)がすみつき、巣まで食い荒らすことがある。巣を守るため、春先の掃除は必要不可欠なのだ。

スムシの対策

空の巣箱もていねいに掃除して準備する。巣の内側にミツロウをたっぷり塗り付け、ハチミツを取った時に出るカスミツを中にも出入り口にもなすりつける。ミツの香りで群れを誘い込もうというわけだ。

ここまでくると、まさにミツバチと寺原さんとの知恵くらべです。

ニホンミツバチの分蜂の捕獲方法とコツ

↑こちらでも捕獲の仕方について説明があるが、一筋縄でいくものではなく、工夫を要するものであることが書かれている。

ブンコそのものの手入れだけでなく、環境を整えることも大切だ。ハチたちは雨が当たらず、日当たりが確保でき、湿気の少ない場所を好むからだ。山という自然に置くには、藪を払ったり下草を刈ったり、クモの巣を取り払ったりと一手間かける必要があるのだ。

 

セイヨウミツバチの場合、ミツが溜まれば巣を壊さずに何回でもミツだけ取ることができるが、丸洞養蜂は巣を壊さなければミツを取ることができない。そのためミツを取るのは年に1〜2回がせいぜいだ。

この本では、日向市東郷町の寺原さん、そして椎葉村那須さんと、二人のミツの取り方を比べて紹介しているが、やり方はまるで違う。

寺原さんは作業中ハチよけの網をかぶり、ゴム手・ゴム長のフル装備だが、那須さん夫婦はなんの装備も身に付けない「丸裸」だ。挙句、ハチの群れを素手ですくったりもしている。というのはニホンミツバチはもともとおだやかな性質で、扱い方に気をつけさえすれば、むやみに人を刺すことはないからだ。寺原さんの装備は念のためのものだ。

那須さんはいいます。「ミツをとるときにだいじなのは、ミツをもらいにきたという気持ちをすなおにハチに伝えること。欲をだしたらダメ。手でハチをおさえたりしないかぎり、けして人を刺すようなことはしないですよ」

写真の那須さんの、ペコちゃんみたいにぺろっと舌を出しながら、取り出した戦利品(巣板)をためつすがめつする様子がなんともチャーミングだ。

寺原さんと那須さんはミツを取る時期も違う。寺原さんは夏に、那須さんは秋にとる。椎葉村は標高が高いためミツを集めるための花が少なくなるからだ。近年はとくに、スギ・ヒノキの植林で、ミツのとれる花が咲く木が少なくなっているという。時期が遅れる分、秋のミツは水分が減って濃くなり、強い甘さとこってりした舌ざわりになる。

寺原さんの夏のミツはさらっとなめらか。しかも夏なら巣箱から全部取ってしまっても、ハチたちはまた秋に集めることができる。秋にとる那須さんの場合、越冬に間に合うよう半分は残してやらなければならない。おまけに秋はオオスズメバチの繁殖シーズン、ミツバチのさなぎや成虫を狙って巣を襲われやすいというリスクもある。これらの制限やリスクを越えた「稀少で貴重な秋のミツ」は、昔から椎葉村で薬として大事にされてきたという。

ニホンミツバチを使った伝統養蜂は、ここ宮崎県北だけでなく、各地でおこなわれている。本号「作者のことば」でも、浜松市の片桐邦雄さんの話が紹介されている。本業の割烹店を営むかたわら、やはり趣味として養蜂や狩猟をおこなっているという。

釣って 食べて 調べる 深海魚(第436号)』の平坂さんも、対馬の伝統養蜂を紹介していたりする。

対馬の伝統養蜂がおもしろい 〜蜂洞とニホンミツバチ〜 :: デイリーポータルZ

 

しかし、本号は「ニホンミツバチと暮らす」話にとどまらない。ハチの巣狩りまで紹介されているのだ。ここでのハチはなんとオオスズメバチはちのこを取ろうというのだ。寺原さんの知人の藤田さんが名人ということで、6ページにわたって巣とりの様子が描かれている。

手順はこうだ。

  • オオスズメバチをカスミツでおびきよせる。
  • 先端にコオロギを刺した棒をその群れのなかに突っ込み、一匹が取りついたところで引き上げる。
  • そのハチが「コオロギ肉団子」づくりに夢中になっている間に、くびれ部分に白いヒモを結わえつける。これを何匹も用意する。
  • 白いヒモを目印に、巣にもどるオオスズメバチを双眼鏡で追跡する。
  • 見つけたら完全防護服に身をつつみ、巣の掘り出しにかかる。

以前NHKの「小さな旅」でも見たことがあるが、いやはや危険極まりない“レジャー”である。

NHKオンデマンド | 小さな旅 「故郷の山河にあそぶ~宮崎県 日之影町~」

宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ

まるでスポーツでもするように巣とりを楽しんでいます。遊びにしてはスリルがありすぎます。でも、藤田さんたちにとっては、ヨーロッパの伝統的なスポーツハンティング、ウサギ狩りやキツネ狩り、いや、それよりも猛獣狩りに近いくらいの心わきたつゲームなのかもしれません。

藤田さんなど、巣中でサナギが蠢くのを前に、こいつぁバター炒めも絶品なんだぜ、酒の肴にサイコーだ。じゅるっ……てな感じで、よだれをたらさんばかりの様子なのがおかしかった。

私も食べたことがある(『野生動物の反乱(第313号)』)のでおいしいのは知ってるが、38〜39ページにずらりとならんだ蜂の子料理の数々は、虫嫌いにとってはなかなか厳しいビジュアルかもしれない。幼虫の刺身……刺身でも食べられるのかあ。 

かつて蜂の子はもちろん、山間部のタンパク源として貴重な食材だった。危険をおかしても取る価値があったことだろう。ハチミツ取りの邪魔になる天敵を退治するという目的もあったかもしれない。しかし、いくらでも他の食料が手に入る今なお、その危険さゆえに、遊び・レジャーとしてまだまだ根付いているのは面白いことだ。うちの周辺でも最近、きのこ狩りに出かけた人が滑落して亡くなるという事故があったが、自然相手のレジャーは楽しい一方、本来的に危険と隣り合わせなのだ(『雪がとけたら 山のめぐみは冬のごちそう(第243号)』)

今やハチミツだって、肉(タンパク質)だって、山菜だってキノコだって、栽培したものが簡単に手に入る時代だ。簡単に手に入るからこそ逆に、簡単に手に入らないものを創意工夫でつかみとりたいという気持ちがわいてくるのかもしれない。しかも相手は自然、自然との知恵くらべなんて面白くないわけがない。ときに命を落とすことがあったとしても、やめられない「遊び」なのかもしれない。

しかし、人間の活動のおかげで、この「遊び」のフィールドが脅かされる事態も見えてきている。作者の飯田さんも、宮崎での取材中、寺原さんや那須さんから「ハチの数が激減している」という言葉を何度も聞かされたという。山ではなく、都市部に移り住み始めたという噂も聞いている。スギ・ヒノキで埋め尽くされた山は、ニホンミツバチにとって暮らしやすい場所ではなくなってしまったのだ。

 ニホンミツバチのみならず、すべての野生動物にとって、今日本の山は棲みづらくなっています。このまま対策を取らないでいると、早晩山から野生動物が消えてしまわないともかぎりません。ニホンミツバチの衰退はその始まりなのかもしれません。そして、野生動物の変化は、私たち人間の暮らしにも関係がないはずはないのです。(本号「作者のことば」より)

ニホンミツバチと暮らす たくさんのふしぎ 2008年10月号

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合わせて読んだのが『季節のごちそう ハチごはん』。

ウミショウブの花(第341号)』を描いた横塚眞己人さんの本だ。

宮崎のオオスズメバチは獲って食べるだけだったが、岐阜県恵那市串原地区では、なんと獲った巣を育て、大きくしてから食べる風習がある。

獲るのはクロスズメバチの巣。この地域では「ヘボ」と呼ばれている。

「ハチ追い」という巣とりの方法は、ほぼ同じ。

イカの切り身のついた竹の棒でおびきよせ、「しるし」を持たせる。「しるし」は、細い糸の先に白い玉がついたもの。ここに小さく切ったイカ肉を結びつけておく。誘き寄せられたハチに、このイカ肉つき「しるし」をさしだすと、自らこれを抱え込むのだ。イカ肉を抱き抱え、一生懸命肉だんごを作る様子はなんともかわいらしい。

クロスズメバチは、オオスズメバチとは違って小さい。目印が付いているとはいえ、ハチを追って森の中の斜面を上ったり下りたり。かなりのハードワークだ。

そんなこんなで掘り出された巣は、ソフトボールくらいの大きさ。小箱に詰めて持って帰る。食べるのではない。これから育てるのだ。10〜11月初旬ごろまで、エサや砂糖水をやりつつ世話をすれば10倍以上になるという。

ヘボには、追う、育てる、食べる、の3つの楽しみがあるそうです。(『季節のごちそう ハチごはん』19ページより)

宮崎には巣とりの名人がいたが、こちらにはヘボ育ての名人がいる。その名人早川さんは、建具職人。山奥に建てられたちょっとした小屋に、手作りの巣箱がずらり。本業だけあってお手のものだ。農薬の影響を受けない、人里離れたところの方がうまく育つのだ。

野生では最大で1〜2キログラム程度なのが、巣箱で上手に育てると5キログラム以上にもなるという。早川さんはヘボの様子を見ながら、手間ひまかけて育てている。てかハチに食わせるメニューが、シカの肉、ウズラの肉、ニワトリの肉、ニジマスですよ?私より良いもん食ってんじゃねーか!ってな感じである。おまけにエサの砂糖水に使う砂糖の量は、シーズン合計で200キログラム以上!おいしくならんわけがない。

食べごろになって取り出した巣盤は、家に持ち帰りハチの子抜きにかかる。家族総出での作業だ。早川さんの孫たちもお手伝い。ピンセット片手にみな熱心に作業する様子は、家族の団らんそのものだ。ヘボ料理が並んだ翌日の食卓も。

地域ではシーズンに、巣の大きさを競う「ヘボの巣コンテスト」もおこなわれている。ヘボ料理の販売や、ヘボ商品の即売会もあり、盛りだくさん。甘露煮を使った炊き込みご飯や釜飯がなんともおいしそうだ。ヘボ味噌ダレの五平餅もけっこうな人気らしい。

くしはらヘボまつり | え~な恵那【岐阜県恵那市観光サイト】一般社団法人恵那市観光協会

https://keinanspot.jp/story/目撃!巨大な蜂の巣と山里の奇祭/

ヘボ文化はこの地域にとって、家族団らんのツールであると同時に、大事な観光資源であり、地域交流のレクリエーションでもあるのだ。

 

横塚さんの本の取材時は入賞できなかった早川さんも、2019年「ヘボの巣コンテスト」では見事優勝を果たしている。

くしはらヘボまつり大盛況のうちに幕を閉じる | 串原支部 (恵那市観光協会)くしはら

残念ながら今年は中止になってしまったようだが、来年こそは腕じまんたちが、でっかく育てた巣を競い合ってくれることだろう。

ちなみに……平坂さんもやはり「ヘボ祭り」を見に行っている。

「ヘボ祭り」で蜂の子を食べてきた :: デイリーポータルZ

中国やニュージーランドからの冷凍輸入ものとか。そんなに需要があるものなのか!

「防護服(11,000円)」も、まあまあ高いもんなんだなーとか。これでも安くなっているというから驚きだ。

ヘボまつり、一度私も行ってみたいなー。