「たくさんのふしぎ」が取り上げてきたテーマの一つに「お祭り」がある。
- 『ぼくらの天神まつり (たくさんのふしぎ傑作集) (第48号)』
- 『つな引きのお祭り(第108号)』
- 『山と海をつなぐ川のおまつり(第272号)』
- 『絵で読む 子どもと祭り(第400号)』
- 『おんまつり(第429号)』
その他、内容にお祭りが含まれるもの(『魔女に会った (たくさんのふしぎ傑作集) (第95号)』など)を入れれば、かなりの数に上るのではないか。
『山と海をつなぐ川のおまつり』の舞台は和歌山県。
古座川流域5地区(串本町古座、同町古田、古座川町高池下部、同町宇津木、同町月野瀬)が担い手となって行われてきたお祭りだ。その歴史は古く、天保10年(1839年)、紀州藩編纂の『紀伊続風土記』に「日置浦より新宮迄の間に此祭に次ぐ祭なし」とも記されている。
お祭りの中心は「こおったま」。河口からおよそ3km上流にある、川の中の小島だ。この島こそが神様なのだ。清暑島という名はあるものの「河内さま(こおったま)」と呼ばれ親しまれている。
この町の人たちは、この川とよりそってくらしてきた。
川ぞいの土地に家をたて、川がつなぐ山や海から、
たくさんのめぐみをうけて生きてきた。
町には「海のしごとの人たち」も「山のしごとの人たち」もいる。
川と寄り添って暮らし、恵みを受けてきたのは「海のしごとの人たち」も「山のしごとの人たち」も同じなのだ。
それぞれ違う立場だが、古座川とその恵みに対する思いは共通だ。だから、年に一度「こおったま」に集うのは同じだけれど、それぞれのやり方で神事を執り行う一風変わったお祭りになった。
本号で描かれるのはメインイベント、おもに「山のしごとの人たち」が行う「古座獅子」と、「海のしごとの人たち」が行う「御舟行事」だ。文化庁の重要無形民族文化財にも指定されている。
見開きをうまく利用して描かれた絵は、現地の空気感やお祭りの躍動感を目一杯伝えてくれる。海と山、川と空、それぞれのあおが彩る風景に、お祭りの華やかな様子が映えて目にもまぶしい。「今月号の作者」紹介欄には「絵で作品を発表したのは今回がはじめて」と書かれているが、とてもそうは思えないくらいに手練れている。
とくに10〜11ページの獅子舞の練習をする女の子のキリッとした表情、20〜21ページの漁船で仕事をする様子は素晴らしく印象的だ。
表紙の、河内大明神の幟が反対を向いているのは、こちら側が「こおったま」に拝見している向きだからだ。見開きにすると、対岸の河原でお祭りに参加している気分になれる。
お祭りの様子だけでなく「山のしごとの人たち」「海のしごとの人たち」の、日常の仕事も盛り込まれている。その日常こそがお祭りという非日常につながっていることを伝えているのだ。一方で「山のしごとの人たち」「海のしごとの人たち」が、日常では混じり合うことがないからこその「お祭り」だということも、感じさせてくれる。
1ページ目は海側から山と「こおったま」を空から見た風景、最終40ページ目は逆に山側から海と「こおったま」を見た風景が描かれる。どちらの仕事の人にとっても「こおったま」がいらっしゃる川の風景は大事なものなのだ。「山と海をつなぐ川のおまつり」は「山のしごとの人たち」と「海のしごとの人たち」、そして町の人たちをつなぐお祭りでもある。
私は「たくさんのふしぎ」が、お祭りを取り上げるのを不思議に思ってきた。本という形に留められたお祭りは、お祭りではないからだ。もちろん絵本としての価値をどうこう言っているのではない。お祭りはその土地に住み、参加してこそのもの。準備作業含め一瞬のシーンを切り取っても意味をなさないと思うからだ。
こう考えるのは、私がお祭りと無縁で来たからだろう。私の両親はどちらも故郷を離れ、新しくできた町に住み着いた。私は両親ともに地縁がない町で生まれたのだ。この町でもお祭りはあった。コミュニティの親睦をはかる目的の小さなものだ。これも立派なお祭りであることには変わりない。一方、駅向こうの古い町では、由緒ある盛大なお祭りが開催されてきた。そのお祭りに参加できるのは地元の人たちだけ。同級生などは、そのお祭りに参加する地元の友人を羨ましがっていたものだ。私は古い町にある学校に通っており、お祭りに参加するクラスメイトも多かったからだ。こちらの新しい町と向こうの古い町。それぞれに開かれるお祭りは、私にとってちょっとした分断を感じさせる象徴だったような気がする。
そして今は、転勤族としてあちこちをフラフラ移動している。ますます地元のお祭りというものから遠ざかっているのだ。地域で開催されるお祭りは観光気分でただ見るだけ。だからこそ、お祭りの意義や意味のようなものを考えてしまうのかもしれない。地域に住んで当たり前に参加する人たちは、そんなこと考えもしないだろう。ただ楽しいから、いつもやってることだからと当たり前のものとして執り行っているはずだ。
しかし、いつもやってる当たり前のお祭りゆえに、記録される機会は意外と少ないのかもしれない。参加している人たちは準備に余念がなく、それをあえて記録する余裕も発想もないからだ。全体を俯瞰して、お祭りを記録するというのは「外の人」にしかできないことだ。
「たくさんのふしぎ」はその役割を担っている、とは言い過ぎだろうか。もちろん、世の中にはこんな面白いお祭りがあって、君たちと同じような子供たちもこんな風に参加してるんだよ、とただ伝えたいだけとは思うが。