こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

アナログ? デジタル? ピンポーン! (たくさんのふしぎ傑作集)(第63号)

ちょっと前、こんなまとめが話題になっていた。

京大での授業で「そろばんはアナログではなくデジタルです」と言ったら「そろばんがデジタルとはどういうことでしょうか?」という学生がいた - Togetter

おそらく、アナログとデジタルという言葉がもつイメージの問題なのだと思う。

この学生が『アナログ? デジタル? ピンポーン! 』を読んだなら、アナログとデジタルの概念とその違いを、“正しく”つかむことができたはずだ。

 

真っ先に登場するのはやはり、アナログ/デジタルの例ではお馴染みの「時計」。

 では、アナログとデジタルというのは、どういうことかわかりますか? 『わかりませーん』

 それなら、かみなりの子どもたちとしらべてみましょう。

こんな調子で始まる本号は、終始軽やかでコミカル。

しかし、かみなりの子どもたち?

最初のページから、エンジン全開ぶっ飛ばしてるように見えるのは、タイガー立石のイラストのせいだ。

とにかくすごい。

常人には思いつかないようなイラストばかりだ。

確かに「ふしぎ」では、ほかにも

はてなし世界の入口 (たくさんのふしぎ傑作集) (第2号)

さかさまさかさ (たくさんのふしぎ傑作集) (第17号)

ぐにゃぐにゃ世界の冒険 (たくさんのふしぎ傑作集)(第32号)

ぼくの算数絵日記(第118号)

などなど、算数/数学の世界をカラフルに彩っている。どれも、テーマとの組み合わせの妙味を感じさせてくれるものばかりだ。

 

さまざまな小ネタが仕込まれていてクスクス笑える一方、アナログ/デジタルを説明する文章ともぴったり合ってるところがすごい。おかしな本文と、素晴らしいコンビネーションだ。

タイガー立石らしく、パクリ?オマージュ?パロディ?みたいなネタもいくつかある。「だるまくんとてんぐさん」とか……大丈夫なんかなあ?

今の子に通じるかな?というのが、32〜33ページに出てくる淀川長治のパロディだろう。もちろん知らなくても楽しめるけど。

 

ここらでちょっとひと休み。かくれた数字をさがしてください。

と、突然小休止が入るところも面白い。なぜ?急に??数字探し???

とにかく、この本を楽しく読み終われば、アナログ/デジタルを、きちんと判別できること間違いなしだ。

立石作品にはお馴染みのペンローズの三角形も、あちこち散りばめられているので、絵探し絵本としても楽しめる。

 

ちなみに子供に「そろばんはアナログか?デジタルか?」という質問をしてみたところ、

ーデジタルでしょ?

と即答した。

ーでも、玉を動かす動きはアナログだけど。

と付け加えることも忘れていなかった。

顔の美術館 (たくさんのふしぎ傑作集)(第106号)』で、

私もいつか、“立石大河亞”作品のすごい現物を見てみたい。

と書いたが、そのチャンスが今夏巡ってきた。

大・タイガー立石展」だ。

夏休み、青森まで遠征するはずだった。

が。しかし。この夏の惨状は、みな思い出したくもないことだろう。

 

そのかわりといってはなんだが、日曜美術館の特集を見た。

「七転八虎不二〜変容する画家 タイガー立石〜」 - 日曜美術館 - NHK

コラム タイガー立石のミラクルワールドのもと | アートコラム | 日美ブログ -番組がお届けする美の情報-:NHK

印象に残ったのは、冒頭紹介されていた言葉。

正直言って

画家にもマンガ家にもイラストレーターという職業にもなりたくない

たえずアナーキーでいたい

そうやってる時が一番自分を正しく保てる状態なんです

 

まさに彼は、その通りの人生を歩んできたと言える。

最初に登場したのは油絵の世界。立石紘一の名であらわれた。

黒澤明の映画を許可なく・・・・リメイクした《荒野の用心棒》(1966)など、当初からアナーキーさ全開で作品を飛ばしている。『アナログ? デジタル? ピンポーン!』でも見られるように、淀川長治など既知のモチーフを盛り込んでくるのは、立石ならではだ。

次に飛び込んだのはマンガ、それもナンセンスギャグ漫画の世界。あの赤塚不二夫をも唸らせるほどの才を見せる。そして1967年、タイガー立石と改名するのだ。曰く、

純粋美術と漫画やイラスト、デザイン、映画などの融合を考え、タイガー立石というペンネームにする

『アナログ? デジタル? ピンポーン!』にも、ナンセンス漫画のテイストがたっぷり仕込まれている。

 

ところがである。プロとして順調に仕事が舞い込むなか、突如としてミラノへの移住を決意する。「売れっ子になりそうな危機を感じて」というのが、タイガー立石らしい。

ミラノでは「コマ割り絵画」という新しい表現を用いた作品で、瞬く間に人気を博する。敬愛する星新一のような、ショートショート的絵画を目指していたという。「コマ割り絵画」なんてデジタルそのものではないか。しかし、頭の中で見るとアナログの動きが浮かんでくる。

イラストレーターとしても活躍、現地でもひっきりなしに仕事の依頼が来るようになる。自作を作る時間も取れないくらい忙しくなっていた。

『アナログ? デジタル? ピンポーン!』28〜29ページには、空から見た風景図が描かれているが、イラストレーターとしての仕事を彷彿とさせるものだ。

 

ところがである。イラスト会社でも作ったらと勧められたことを機に「イラストレーターや経営者になることに自己危機を感じ」ミラノでの13年を一切捨て帰国してしまうのだ。ときに1982年、40代の頃だ。

千葉県に移り住み、新たなステージへと変身を遂げるタイガー立石

大作《明治青雲高雲》《大正伍萬浪漫》《昭和素敵大敵》(1990)の3部作を発表した年、立石大河亞へと改名する。その後も全長54m、全6巻の鉛筆書きの絵巻作品を作ったり、著名なアーティストをモチーフにした作陶を手掛けたり。

大人になるってことは一つのことを違った角度から見れることだと思うんです

でもなかなか大人になれない

それを見るためのいろんな角度の鍵を持っていることが必要で、

ぼくらがやらなきゃいけないことは

新しい鍵を作って見せてあげることだという気がするんです

 

番組に出てきたさまざまな人たちが、彼を評する言葉も面白かった。

グラフィックデザイナーの松本弦人氏は、タイガー立石の作品はみな「賛成の反対ナノダ」的なものだという。

ブックデザイナーの祖父江慎氏は「へそまがりであり続ける」「みんなに尊敬される人にはなってやるもんか」というつもりでやっていたのではないかと。

そして番組ゲストの山口晃。彼の作品解説はどれも至極素晴らしかったが、なかでも「味に対しての注意深い排除性」という視点が面白かった。カラッとした乾いたものだけで組み立て「持ち味を見せない」ことを意識していたのではないかというのだ。

『アナログ? デジタル? ピンポーン!』を読んでも、そのことが実感できる。イラストにはタイガー立石印が明確に刻まれているのに、タイガー立石として主張していないのだ。文章は文章で、イラストはイラストでそれぞれ個性があるのに、なぜかぶつからない。文と絵がちょうどいい具合にはまっているのだ。こんなに特徴的なのに、読んでても作者の顔が意識されてこない。あたかもその世界がすでに存在していたような、不思議な感覚に陥ってくる。それでいてしっかりこの絵本は、タイガー立石作品として見ることもできるのだ。

振り返ってみれば、あの読者からのおたより(『塩は元気のもと(第165号)』参照)は、まったくもって素晴らしいものだった。タイガー立石が生きてたら面映がりそうな気もするけれど、案外素直に受け取ったのではないだろうか。

来年はタイガー立石が没して24年を迎える。寅年だ。