こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

クラゲは花(第319号)

海のなかを優雅にただようクラゲ。

実はすごい生きものだということをご存知だろうか?

まずは進化の歴史。

クラゲのなかまが誕生したのはなんと約10億年前!それ以来ほとんど体のつくりを変えることなく、現在までずっと生き続けてきたという。

ああ見えて、地球環境の激変を耐え抜き、柔軟に対応してきた強者なのだ。

クラゲといえばあの毒針。

私も刺されたことがあるが、何も攻撃しようってわけではない。ただエサを捕まえたいだけ。彼らの持つ刺胞は釣り竿にして釣り針。波まかせ、ただようだけの“プランクトン”が、効率的に食べるための武器なのだ。

 

もっとも驚くべきはその生活史だ。例に挙げられるはミズクラゲ

その変態ぶりは他の追随を許さない。

すなわち、

「プラヌラ幼生」→「ポリプ」→「ストロビラ」→「エフィラ」→ミニクラゲ→成体

とステージごとに名前が付けられるくらい変化するのだ。

驚くのは変態ぶりばかりではない。私たちが現に見ているクラゲ、これはクラゲという生きものの本体ではないかも?というのだ。

30ページには、でっかいミズクラゲのイラストとともに、こんな解説が付けられている。

この姿を「ミズクラゲ」とよんでいますが、ほんとうは

ミズクラゲ(という生物)のクラゲ(の状態)

と、よぶべきなのかもしれません。

なんのこっちゃと思われた方はぜひ本号を読んでみてほしい。

作者のいう「クラゲの本体」とは何か?「クラゲは花」というタイトルの意味は?

クラゲを見る目が変わること請け合いである。

人間の目に目立つ状態だけ・・を見るのでは、知ったうちに入らない。『カブトムシの音がきこえる 土の中の11か月(第396号)』でも、注目されていたのは成虫ではなく「土の中の11か月」の方だった。

 

中表紙1ページ目の絵は、満月が照らし出される海面に、浮かび上がるクラゲを描いたもの。

隣の見返しに、

“クラゲは漢字で「海月」もしくは「水母」と書きます”

と解題が付けられているのが面白い。確かにイラストを見ただけで、さすがにそこまで思い至らないかも。

「作者のことば」には、こんなことが書かれている。

 科学では、目の前に起こっていることを当たり前とせずに、「なぜ?」と思うことが大切です。例えばニュートンが、リンゴが落ちることに「なぜ?」と思った(と言われている)ように。このことは、多くの研究者が研究を進める中で感じ、そして、後に続くものに教えることでもあります。私の恩師の一人であった柿沼好子先生もそのお一人で、このような見方を持って、生物を研究することの大切さを教えていただきました。今回のテーマ「クラゲは花」というのは、柿沼先生が常にお考えになっていたことでした。この本は、先生のお考えをみなさんに紹介するために書いたと言ってもよいでしょう。(本号「作者のことば」より)

本書以外に『クラゲの不思議』という本も読んだのだが、その「はじめに」にもこんなことが書かれているのだ。

 この本を手にとられた方は、何かしらクラゲに興味がある方だと思います。本書では柿沼先生に教わったこと、いろいろな発見をしたこと、また、そこから発展したさまざまなことを紹介していきます。クラゲを通して生命のすばらしさや、すごさが伝わればうれしいです。(『クラゲの不思議』3ページより)

柿沼先生」とは何者なのか?

お二人もの研究者が、柿沼先生の薫陶を受けたことを告白している。その上、ここで自分が書いてるのは先生の教えを伝えるものだ、というのだ。

 

『クラゲの不思議』によると、柿沼先生は当時環境生物学の講座を開かれていて、この環境生物学という学問について次のように語ってらしたという。

「生物は極限の環境に置かれたときには、決してあきらめずに、極限まで生きる道を探して生きようとする。だから、極限環境に置かれたときにその生物のほんとうのすごさがわかり、生命の秘密を解くカギが見える。刺胞動物は単純な構造をしていて環境変化に対する応答がはっきり見えるから、環境生物学をするには非常に優れた生物なのだ」(『クラゲの不思議』66ページより)

先生の授業では、なんで魚は泳ぐのか?なんでフジツボは岩にくっついて生きてるのか?なんでクラゲはふわふわ浮遊してるのか?と質問を投げかけられたという。

答えは「そうやって生活しないと生きられないから」。

先生から教わった環境生物学は、すべてこの考え方が基本になっているそうだ。

そして今、水族館でクラゲがフツーに見られるのは、柿沼先生の研究あってこそだという。

始まりは「えのすい」の前身江の島水族館での展示コーナー。水族館スタッフが先生のもとで飼育方法を学んだことがきっかけ*1だ。しかし……私たち家族も、えのすい行ったことあるんだけどなあ。クラゲの記憶、まったくない。何を見てたんだか。

ともあれ、猫も杓子もクラゲ頼み、という時代がやってきたのも先生のおかげなのだ。

地方の良い感じの水族館が終わり“映え”“クラゲ”“高額入場料”な都市の水族館に置き換わっていく流れに色々考えてしまうみなさん - Togetter

柿沼先生、すごい女だよ。

クラゲより、もっと柿沼先生のことを知りたくなってきた。先生の本意ではないかもしれないが。とはいえ先生のことを知りたいと思ったら、出てくるのはクラゲの本しかない。自動的にクラゲを知ることになる。

今は亡き*2柿沼先生の肉声に触れられる、貴重な本がある。

クラゲの正体』だ。著者の坂田明は、ジャズ演奏家にしてミジンコ研究家という異色の人。第二章「クラゲに愛はつうじるか」は、まるまる柿沼先生との対談で構成されている。解説のためのクラゲのイラストも柿沼先生の手によるもの。しかもふんだんに盛り込まれている。なんと贅沢なつくりだろうか。

本号「作者のことば」で言われる、

今回のテーマ「クラゲは花」というのは、柿沼先生が常にお考えになっていたことでした。

も、しっかり先生自身の言葉で書かれている。

柿沼 とにかくクラゲって、形態がすごくバリエーションに富んでいて、どれも美しい。動きは優雅だし。だから「海に咲く花」とか「水中を漂う花」とか言われてますが、クラゲは文字どおり〈花〉なんですよ。(『クラゲの正体』36ページより)

先生が、クラゲの道に引きずり込まれるまでのことも語られている。

子供時代の先生は「星をながめるロマンチックな少女」「哲学する少女」だったそうだ。

柿沼 どうして星はこんなに美しいんだろう、闇夜にまるで生きもののように瞬くからにちがいないーーなんて自問自答したりして。(同55ページより)

柿沼 子どもの頃は誰でもそうでしょうが、どうしてだろう、なぜだろう、その答えを知りたい、という気持ちがいつもありました。(同55〜56ページより)

長じた先生は墨絵の道に行きたかったようだが、食ってけないだろうという父親の言で、薬剤師のコースに進むことになる。その頃は戦争未亡人が多く、女性も手に職をつけなければという気持ちもあったようだ。

進学した大学の生物クラブで出会ったのが、ヒドラ。再生力旺盛、切り刻んでも磨り潰しても、もとどおりの体に復元するさまを見、魅了されたという。

柿沼 ヒドラは、若かった私の哲学志向みたいなところを刺激したんでしょうね。それにくらべ、薬学は純粋科学とちがいテーゼがない。そこが、いまひとつなじめなかったんですね。(同57ページより)

卒業後、大学院に進んだらどうかというすすめは、家に戻れという父親の声で頓挫する。女に学問は不用という時代だった。しかしその後、青森県浅虫の東北大附属臨海実験所ではたらきながら勉強できることになる。父親からは、自分の目の黒いうちは帰ってくるなと勘当同然だったようだ。

浅虫では、大学時代の恩師平井越郎教授のもと、平井先生の専門であるホヤにたずさわることになる。意外や意外、浅虫での18年間、ほとんどホヤをやっていたというのだ。

研究助手の仕事の合間には、付属水族館の管理の手伝いや外来研究者のお世話まで。自らの研究はそれが終わった後。夜10時過ぎから深夜2時3時まで続いたという。

研究助手の仕事も楽ではない。平井先生の野外採集、あれもこれもと重くなっていくバケツを持ちながらのお供。ちょっとバケツをおろせば「研究したければ自分を女と思うな」と言葉が飛んできたという。つらかったと振り返るのが、水温4℃での冬の海での採集。みなが寝静まった後深夜の研究室で、なんでこんな苦労してるんだろって思ったこともあるそうだ。

坂田 やめようと思わなかったんですか。

柿沼 それが、やめられないんです。好きだったんですねえ、たまらなく。生きているものを観察するのは、ほんとうに楽しい。(同60ページより)

平井先生から腔腸動物の研究をすすめられた柿沼先生は、クラゲの道にすすむことになる。平井先生は原索動物のホヤ類と腔腸動物の発生現象に共通点を見出していたからだ。とはいえ、けっして研究テーマを押し付けることはしなかったという。

それは、私が平井先生から学んだことのひとつですよ。学問は自己表現ですから、自分がやりたいものをやらなきゃ。(同60ページより)

 

タイトルである「クラゲに愛はつうじるか」については、こんなことをおっしゃっている。

柿沼 クラゲになにがつうじるのかわからないけど、たとえば飼う時、つねに心をもって水を替えるとか餌を与えるとかすると、成長の過程や死亡率がちがってくるんですね。機械的じゃだめ。そういう意味なら、こっちの気持ちにちゃんと応えてると言えますけど。

坂田 あ、ほんと、そうですね。

柿沼 そうやってつき合っていると、個体識別もできるようになりますし。(同68ページより)

そして、学生には安価で壊れにくいプラスチック製ではなく、本当はガラスの実験器具を使ってもらいたいと言うのだ。

柿沼 取り扱いが悪いとすぐ割れてしまうから。命は壊れやすくもろい。だから壊れやすいものは壊れないよう扱わなくちゃいけない。そういう繊細さがとても大事だと思うんです。

(中略)

柿沼 生物にたいする無償の気づかいを愛というなら、クラゲに愛はつうじますよ。私はそう思いますねえ。(同69ページより)

柿沼先生……研究者としても教育者としてもすごい女だ。

先生の真骨頂はそこだけではない。「クラゲのなかに十億年の海を見」ようとしているのだ。

柿沼 私ね、「クラゲ博士」と呼ばれるとおこがましくて、片腹痛い。

坂田 えっ、なぜですか。

柿沼 クラゲを研究しているといっても、私はクラゲだけを見てるつもりはないですから。クラゲというものの命をとおして何十億年もつづいてきた海そのものを見たい、という気がしてるんです。(同70ページより)

生きものは環境と統一体である、生きものは自分をとりまくすべてのものと共生しているのだ、とおっしゃるのだ。

柿沼 利害が対立したり、相手の死によって自分が生き伸びるということもたしかにあるけど、それもひとつのつながりですよね。生きものの周りにはそういう生物環境だけでなく、光や波、温度といった物理環境、水質などの化学環境なんかがあって、すべてが干渉し合っているんです。

 だからクラゲを考える時も、海という環境との豊かなかかわりから切り離してとらえてはまずいんですよ。海の中を漂っている姿を思い浮かべて考えないと。(同72ページより)

先生の研究、クラゲへの愛から見えてくるのは、芯となる哲学だ。クラゲをとおして“宇宙”が見えてくるような、そんな気持ちにもさせられる。クラゲの驚異もさることながら、柿沼好子という研究者の凄みを実感できた本だった。なるほど、道理で教え子たちは先生に対する敬愛を隠さないわけだ。

 

柿沼先生は後年、浅虫から鹿児島大学に移られ研究を続けられていた。この本の対談も鹿大の研究室でおこなわれたものだ。

鹿大時代も精力的に研究ご指導されていた先生のお考えは、

指標生物は環境の指標となり得るか?

でも垣間見ることができる。

ちなみに柿沼先生は、鹿児島でも刺胞動物を展示する水族館にも関わっている。鴨池マリンパークだ。公営ではなくサンロイヤルホテルが運営していた。残念ながら『クラゲの正体』の対談時にはすでに休館中、のちに取り壊されている。

「私、鹿児島の将来をになう子どもたちに命の意味を考える誘い水になればと思って、入場料を安くできないかってお願いしたんですよ。そしたら当時社長だった金子章さんが市民に無料で開放してくださったんですけどねえ」(同29ページより)

ところで『クラゲの正体』には、かつて先生の書かれた「ブーゲンビリア」という文章が紹介されている。これがなんともいえぬ味わいなのだ。あまりに心を惹かれたので、原本の『青森県海の生物誌(東奥日報社)』を取り寄せて読んでみた。

この本は、東奥日報夕刊に連載された同名のコラムをまとめたもの。柿沼先生の師匠、平井先生を中心に、浅虫臨海実験所の各位が“うん蓄を傾けて執筆されたもの”だ。1963年9月2日から178回にわたって連載されている。

これがまあ滅法面白い。紹介したいところがいっぱいで迷うくらいだ。

平井先生の専門はホヤだから、最初の方はホヤ話が満載。食べる話もいっぱい出てくる。

先生は石巻市の生まれ、

「静かなうららかな春の町々に『ホヤえがす、ホヤえがす』とのどかにふれてくる声を生まれたときから聞き、料理もせず、切りもせず、丸ごとぺろりと口に入れて育ってきた(『青森県海の生物誌』19ページより)

という、筋金入りのホヤ好きなのだ。

 ホヤの味は濃厚な海のかおりである。初夏のみどりの風と真新しいキュウリの香が伴う。代表的な食べ方はキュウリをツマにした酢のものだろうか。雪深い冬から開放された初夏を賛美する味かもしれない。

 私はこれを食べると、味のみならず初夏に躍動する海の動物の招きを感ずる。よほどホヤにつかれているらしい。(同22〜23ページより)

驚くべきことに先生は、ホヤは古いほうがうまいというのだ!

え、ホヤは鮮度が命じゃないの!? いつも朝どれしか買いませんけど!?

同じく東北出身の朴沢三二教授も『ホヤは新しいのはうまくない。ホヤは買ったらそのままハエ帳の中に入れておく。そうするとやがてハエ帳のまわりに小さなハエがたくさん集まってくる。そのころがいちばん美味しい』と言っておられたという。

 私は実にうまい表現だと感心したものだ。というのは私も新鮮なホヤは流し台に二、三日ほおり出しておいてから食べるか、軽く塩をして二、三日して食べるのが大好きだからである。ホヤの身が柔らかくほくほくとなり、甘くすばらしくおいしくなる。しかしこれはめったに他の人にはおすすめはできないぞと考えていた。(同25ページより)

うーん。ちょっとやってみる勇気が出ないわ。

 

肝心の「ブーゲンビリア」、柿沼先生が登場するのは90ページからだ。

このころ新しい助手として柿沼嬢がはいってきた。エダアシクラゲの研究がさっそく彼女の研究課題となった。全く寝食を忘れた飼育と観察が始まった。柿沼助手はいきものが好きで、いきものに完全なる安住をあたえる人である。エダアシクラゲは柿沼助手の手の中で安心して生命の発展を進めていった。(同90〜91ページより)

その後「クラゲ類の生活史研究に日夜没頭している柿沼好子さんと執筆を代わってみよう」ということで、98〜113ページの15ページにわたり、柿沼先生がクラゲについてのコラムを書かれている。この一部が「ブーゲンビリア」という文章なのだ。『クラゲの正体』で紹介されるのはこれまたその中の一部、次の箇所だ。

 ここは陸奥湾の大浦の海べ、それは光きらめく夏の午後の舞台。やけつくような日を浴びた褐藻のホンダワラを住み家に鈴なりに咲いていたブーゲンビリアの花々が、親から離れる遊泳のその瞬間をじっと待っている。感じやすいこの時期には、だから褐藻の小さなゆらめきにも敏感に大きくゆれて、夜空に打ち上げられた花火のように次々に離れて遊星のように海いっぱいに散っていく。

 離れて生まれでたばかりの花のクラゲは、透明な1㍉のからだ、ゴムまりのように丸くかさをぱんと張りつめてぶたれてもけられても傷つかぬようにと柔らかい。(同99〜100ページより)

なんとも詩的な表現ではないか。「たくさんのふしぎ」を読んでいると、研究者の方々は研究対象に対する「愛」を表現するのがうまいなあと感ずることが多いが、柿沼先生もそのお一人であるのは間違いない。

私はまったく勘違いしていたが、実はこの「ブーゲンビリア」は、単にクラゲを「ブーゲンビリアBougainvillea)」という花に準えたものではなく、ブーゲンビリアBougainvillia)というエダクラゲの属名から来ているものだった。

エダクラゲ属の一種 | 公益財団法人 黒潮生物研究所

その直前の文章はこんなことが書かれている。

 町には永久の夢に疲れ果てて眠れる万魔殿がたっている。そのシーレンテラータといううらさびれた神秘の大門を通るとクニダリアのいばらの亜門があり、くぐり抜けるとハイドロゾアの鋼サクの向こうにヒドロイダ邸がいくつも見える。ひと庭へだてたヒドロイドの鉄サクには、揺れるクラゲの愛の花々、ブーゲンビリアの樹々に咲き乱れるクラゲがほの白い波あかりにとらえがたいバラ色に輝いて近づくと瞬間、褐藻に足をとらわれ、バラ色の花々は何を感じてか身ぶるいし、いっせいに鈴を鳴らすように舞いちぎり、視界はたちまちの花煙ではなやかなオペラの舞台を繰り広げる。演ずるはブーゲンビリアのクラゲのまばゆい生命の開花である。(同98〜99ページより)

ちょっと柿沼先生、これ、そのまま読者に理解できます!?

調べてみて読み解くと、

「シーレンテラータ」というのは、すなわち腔腸動物(Coelenterata)。

「クニダリア」は、Cnidariaという門 (分類学)

「ハイドロゾア」は、Hydrozoaという綱 (分類学)

「ヒドロイダ邸」はおそらく、Hydroida(ヒドロ虫目)で、

「ヒドロイド」はおそらく、Hydroidかなあ?

と解釈したが、あまりに格調高すぎて、そしてまたクラゲのことをよく知らないので、柿沼先生が描くところの絵が想像できなかった。

15ページほとんどが、この“格調高さ”をもって綴られており、さすがにちょっと読者を困惑させたのではないかと想像してしまった。

格調高いといえば、先生は果敢にも詩作も試みられている。

 ろんたん

 ろんたん

 揺れる海

熱い光に息づいて

みずから望まず 咲いた花

生まれたばかり そればかり

無心の花 ブーゲンビリア

 すべては

 神さまの

 おぼしめし

自分のことは何んにも知らず

いのちの意味も知らないで

かわす無数の 花言葉

無心に散って ブーゲンビリア

 海の楽長

 指揮棒

 とれば

絹の衣装にワルツを踏んで

きめもやさしい砂面の上に

映えるみごとなシルエット

無心に踊り ブーゲンビリア

 偉大な

 祖先の

 ならわしで

この世に何が起ころうと

めぐる月日に超然と

水のこころで透きとおる

無心に流れて ブーゲンビリア

 潮の

 予感に

 瞳が冴えて

絶えがちになった祈りをつづけ

心にしみる 優しさは

愛と平和のうた声を

世界のひだに刻もうと

灯すいのちのシャンデリア

(『青森県海の生物誌』101〜102ページより)

生物学をものするなかには、『絵ときゾウの時間とネズミの時間 (たくさんのふしぎ傑作集) (第96号)』の本川先生然り、『お姫さまのアリの巣たんけん (たくさんのふしぎ傑作集) (第150号)』で紹介した近藤先生然り、歌を作る方も多いが、柿沼先生の詩もその一種といえるかもしれない。

ちなみに平井先生はあとがきで、柿沼先生の文章をこう評されている。

柿沼氏はクラゲ類の研究をやっているが、数例を詩的な表現で書いた。私は詩はわからない。だから柿沼氏の文の詩的評価もできない。だがご覧のような幻想的な生きものを見ていれば生物学的な取り扱いから離れて詩の幻想にふけるのもむべなる哉である。だから詩としてのじょうず、へたは別としてこういう描写も否定したくない。いささか生物の説明に気を取られた感があるが、生物学から全く離れた詩とか童話でもよかったろう。(同320ページより)

奥歯に物が挟まったような挟まってないような感じでこちらも面白い。

 

『クラゲの正体』『青森県海の生物誌』と、柿沼先生の魅力をたっぷり堪能することができた。研究者の“表現”としては第一に学術論文だろうが、型が決まった論文だけでなく、心のまま感じたことを率直に表現したいという有りようがなんとも魅力的だった。柿沼先生には私よりクラゲの生き様を見なさいと言われてしまいそうだけど。

*1:くらげる-クラゲLOVE111』によると、クラゲ展示は昭和天皇が契機となっているという。当時の江の島水族館は、同館でヒドロクラゲの研究をされていた昭和天皇と深いつながりをもっていた。そこで昭和天皇の来館に合わせ、クラゲの展示プロジェクトに着手することになった。ところが飼育のノウハウを持っているのは二つだけ。上野動物園の「水族館」と、東北大学理学部附属浅虫臨海実験所だ。浅虫で解明されたばかりのミズクラゲの繁殖方法を学ぶべく、青森へ派遣されたのが江の島水族館のスタッフ志村和子さん。柿沼先生含む所属する先生方の教えを受けた彼女は、その後水族館の初代クラゲ飼育担当に就任している。

*2:『クラゲは花』の著者である並河洋氏が「柿沼好子先生のご逝去を悼む」という文章を寄せている。https://www.jstage.jst.go.jp/article/sosj/25/1/25_61/_pdf/-char/ja