「たくさんのふしぎ」では異色の本だ。
表紙にはこうある。
この本は、かわいいキミへのキケンなプレゼントです!!
そのとおり、キケンで挑戦意欲に満ちた絵本だ。
柳生弦一郎作の「たくさんのふしぎ」で、
- 『おしっこの研究 (たくさんのふしぎ傑作集) (第14号) 』
- 『ドキドキドキ心ぞうの研究 (たくさんのふしぎ傑作集)(第31号) 』
- 『100まで生きる? (たくさんのふしぎ傑作集)(第44号)』
- 『ゆうれいをみる方法(第67号)』
唯一傑作集になってないのもこの号だ。
作者の本らしく、与太話(に見える話)とマジメな話が絡み合って、独特の雰囲気を醸し出しているが、テーマのせいかいまいちカラッとした感じにならない。ところどころ怖いイラストもあるので、当時の子供たちは震え上がったのではないだろうか。
与太話はこんな感じだ。
ゆうれいは、家の中のどこにかくれているんだろう?
むかしのゆうれいは、よく井戸の中にいたらしいけど、いまは井戸がないから、水道管の中でほそながーくなってるのかもしれない。
「冷蔵庫の中にはいって、つめたーくなっている」
カガミの中でひらべったーくなっている。
洋服箪笥の中にはいって、きみのパンツを1まい2まい3まい4まいとかぞえている。
「電話機の中にはいってぼくの電話を盗聴してる」
かけぶとんの中にはいって、ねているとき、きみのことを上からぎゅーっとおさえつける。ゆうれいだってひとりでくるんじゃなくて団体でくることもあるから、40人ぐらいのゆうれいに上からぎゅーっとおさえられたら、いくらゆうれいはふわーっとかるいといったってけっこうなおもさになるから、きみだってうごけなくなる。がっちり40人のゆうれいにおさえつけられて、きみは金しばりになる。
ゆうれいがものさしをもってトイレの便器の中にかくれてて、きみのおしりの穴の直径をはかる。
「そんなへんなゆうれいなんていないよお」
そうかなあ。ぼくなんかうんこするとき、ときどきなにものかにおしりの穴の直径をはかられている気分がするなあ。
きみ、そういうふうにかんじない?
「かんじない!」
ああ、そう。じゃあ、そういうふうにかんじるのはぼくだけなのかなあ。ぼくにしたって、ものさしもって便器の中にかくれているゆうれいをじっさいにみていないわけだから、ーーやっぱりそういうゆうれいはいないのかなあ?
「いないよお」
ゆうれいが?ものさしをもって?おしりの穴の直径を測る?
どういう想像力してんだろか……。やっぱり洋式じゃなくて和式便所かなあそれもボットンかなあとついつい絵を思い浮かべてしまう。
この絵本は一種の“お化け屋敷”なのだ。
お化けや幽霊はいるの?
誰でも一度は考えたことがある疑問を、さまざまなスポットを巡りながら考えを詰めていく。お化け屋敷と同じく、科学でなく宗教でもない、あくまで娯楽としてのアトラクション。お化け屋敷が
そういうふうに考えると、ゆうれいというのは、ぼくたちにとってものすごくたいせつなものかもしれないことになるわけでしょ。
この“お化け屋敷の出口”にはなぜこう書かれているのか、ぜひ本書を読んでほしい。科学でもなく宗教でもない、こういう着地点で“ゆうれいをみる(幽霊というものを考える)“ことができるのか、と思うはずだ。絶版で手に入りにくいのが残念なところだが。
おもて表紙は赤だが、裏表紙は真っ黒。そしてこんなことが書かれている。
31ページのやくそくはしっかりまもってくださいヨ。
裏表紙に念押しするくらいだから、よほど大事なことだと考えてもらっていい。その辺のこともあって“キケンなプレゼント”という表現が使われてるし、傑作集としても出しにくかったのかもしれない。
付録「ふしぎ新聞」の「作者のことば」も異色。
なんせタイトルは「この世は天国だぜえ!!」である。本号とちゃんとリンクしてるけど、ちょっとふざけた内容だけど、どこか狂気を感じさせるテイスト。近年の「ふしぎ」でこんな雰囲気の「作者のことば」は見たことがない。
何より興味深かったのが「今月号の作者」の“著者近影“。氏の絵本は数多読んでいれど、これまでお顔を知ることはなかった。個性的な絵本を作る作家さんは、たいがい外見も個性的だが、氏もまさにイメージどおり。あれ、どこかで見てたっけ?と思うくらいの既視感だ。
『南極の スコット大佐とシャクルトン (たくさんのふしぎ傑作集)(第107号)』で、サードマン現象について少し触れたが、これも“ゆうれい”の一種と言えるかもしれない。
『奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」』には、“サードマンの出没”について数多くの事例が紹介されている。
9・11の生還者や登山家やダイバーだけではなく、極地探検家、戦争捕虜、単独航海家、海難事故の生存者、パイロット、宇宙飛行士にも。誰もが衝撃的な出来事から逃げのびたとき、すぐそばに仲間や救済者、あるいは「強大な人間のような」存在があったという酷似した話をする。この〈存在〉は、守られ導かれているという安心感や希望をもたらし、普通に考えれば誰もいないはずなのだが、自分は一人ではなく、そばに誰かがいると確信させる。
どうやら極限状態で命と向き合った人びとに起こる共通の体験があるらしく、おかしな言い方かもしれないが、それまで耐えてきた艱難辛苦を思えば、その体験はおそらくすばらしいことなのだ。人間の忍耐力の限界に達した人たちが成功したり生還したりした背景には見えない存在の力があったという、突飛とも思えるこの考えは、極限的な状況から生還した多数の人びとの驚くべき証言にもとづいている。彼らは口をそろえて、重大な局面で正体不明の味方があらわれ、きわめて緊迫した状況を克服する力を与えてくれたと話す。この現象には名前がある。「サードマン現象」というものだ。(『奇跡の生還へ導く人』25ページより)
『ゆうれいをみる方法』でも「ゆうれいをみたひとの話」が二つほど紹介されている。一つは交通事故に遭って死にかけているときの話、もう一つは毒キノコにあたったときの話だ。つまり「サードマン現象」が起こる時と同じく「ふつうのじょうたいじゃないわけでしょ」というときのものなのだ。
面白いことに、毒キノコの例は食べた二人がそろって同じ“ゆうれい”を見ている。その“ゆうれい”は江戸時代に生きた者だと名乗り、3人で酒のんで歌ったりして宴会を楽しんだという。
シャクルトンも、“ゆうれい”ならぬサードマン現象を、ワースリーとクリーン二人と分かち合っている。報告例は少ないながら、共有が起こった事例は他にもあるようだ。『奇跡の生還へ導く人』では「第一次大戦時にトルコ軍捕虜となった三人が脱走行進中に体感した話」「ガッシャーブルムIV峰でのヴォイテク・クルティカとロベルト・シャウアーの体験」「カンチェンジュンガでのルー・ウィテカー&イングリット夫妻の体験」などが紹介されている。作者ジョン・ガイガーは、集団ヒステリーと似たようなメカニズムで起こるのではないかと推測しているが果たしてどうだろう。
作者は一つ一つの事例を具に分析し、引き金となるファクターを解明しようと努めている。
古来から語られてきた、守護天使出現や修道士たちの神秘体験と通ずるものであり、その「現代版」であるという言説。信仰心が篤い人ほど遭遇しやすいのは確かなのだ。
一方で「
「単調さ」ばかりではない。低温・低酸素といった通常の環境にはない要因もある。そしてEUE下で活動するときには、たいがい高い注意力が要求される。加えて飢えや渇き、病気や怪我、疲労、睡眠不足、不安などさまざまなストレスにさらされることが多いのだ。そのどれがということは特定できず、複合的に重なって引き起こされるのだろうと分析している。
さらに「喪失」によるストレスも要因となり得るという。山岳登攀中に起こった4つのケースを引き、そのどれもが同行者の重い受傷や死亡に見舞われていることを指摘している。仲間を失うというその欠如のストレスに対応するために、サードマンが現れたのではないかというのだ。ちょうど子供が、ストレスに対してイマジナリーフレンドを出現させるように、大人の場合でもそれが呼び起こされるのではないかと。
1988年、65歳以上の未亡人500人を対象にしたアリゾナ大学での研究によると、約半数が亡くなったパートナーの存在を感じたことがあるという。ウェールズでの夫を亡くした227人、妻を亡くした66人への調査でも、同様の回答が得られたという。1995年イギリスでの別の調査によるとおよそ35%の人が、配偶者に限らず親や祖父、友人など亡くなった人の「存在」を感じたことがあるという結果も出ている。失った存在、抱えるストレスが大きいほど感じやすくなるようだ。
一方で同じような状況やストレスにさらされながらも「出現」を体験しない人もいる。それどころか死に導かれるような恐ろしい幻覚として立ち現れる場合もあるのだ。山岳遭難中の幻覚はよく聞く話だ。現れるのが救済者なのか破壊者か、その分かれ目となるのは何か?
個人の自我の強さが決定的な要因であることは間違いなく、「苦難のあいだも最後には救われると信じる人の方が、救済者をよく体験する」といい、破壊者はそれ以外の人を静かに死に至らしめる。「なんとしても耐え抜こうという決意の重要性を疑うべき理由はない」。本書のさまざまな事例に見られるように、自分が生き延びることを信じるというこの姿勢こそが、救済者の力なのである。(同217ページより)
なんとしても耐え抜こう……シャクルトンの「引きの強さ」は、まさに「
“ゆうれい”もサードマンも、
きみはぼくのあたまのなかにいるんだってさ。
(『ゆうれいをみる方法(第67号)』38ページより)
という存在だとしても、人智を超えたものであり続けるのは確かだ。その人が置かれた状況・ストレスを分析し、ある程度までは“説明”できたとしても、同じ状況・ストレスを再現して実験するのは困難だからだ。それでも極度のストレス、過酷な環境にさらされる体験はこれからもあり続けるだろうし、である以上“ゆうれい”やサードマンを見る人はこれからも出続けることだろう。自分の人生ではちょっと勘弁してほしいけど。
この人↓(『極夜の探検(第419号)』)は、自分もサードマンを見たかった、見る権利があったはずだと曰う。
『サードマン 奇跡の生還へ導く人』解説 by 角幡唯介 - HONZ
『奇跡の生還へ導く人』の訳者あとがきでも、松田宏也(『ミニヤコンカ奇跡の生還』)とか、山野井泰史(『垂直の記憶―岩と雪の7章』)とか、佐野三治(『たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い』)のサードマン体験が紹介されているが、確かに物書きとして絶好のネタになることは間違いない。
昨年末、
「幽のこえを聴く 〜みちのくの怪談作家たち〜」 - 東北ココから - NHK
という番組を見たが、その中で知ったのは先の東日本大震災に関わる“幽霊談”。
この大災害は「極限の特殊な環境(EUE)」そのもの。やはりサードマン的な体験をした人がいるのだ。
『震災後の不思議な話-三陸の-怪談-【増補文庫版】』には、震災にまつわる不思議な体験談が紹介されているが、なかでも、
- 亡き曽祖母と思しき存在に導かれ津波から逃れた話(36〜40ページ)
- 津波にのまれた後いくつかの「手」によって水の上に押し上げられ難を逃れた話(43〜46ページ)
- ずぶ濡れで避難の最中、下りてきた光の玉に包まれ命を救われた話(48〜55ページ)
が「サードマン現象」と呼べるものかもしれない。
光の玉が下りてきた話などは複数の人と共有されており、体験者自身一種の「集団催眠状態」だったのではないかと振り返っている。一方で「神様にまだ生きるように、頑張れって、後押しされたんだと思うんです」と語っている。
当然のことながら、肉親や友人など亡き人たちの「存在」を感じた話は枚挙にいとまがない。前述のとおり、近しい人たちが“現れる”のは珍しくないものだ。
『魂でもいいから、そばにいて─3・11後の霊体験を聞く』は、その一人一人の話を三年半にわたって聞き取ったものだ。
冒頭、作者は当初聞き取りに気乗りがしなかったことを告白している。その背中を押すことになったのは岡部健医師。宮城県における在宅緩和医療のパイオニア(医療法人社団 爽秋会)だ。当時ガンを患っており、いまはもう亡くなられている。
死の間際に起こる「お迎え」の話がきっかけだった。岡部医師によると、患者さんたちの「お迎え」体験率は4割にものぼるという。「お迎え」はありふれたものなんだから、被災地の「幽霊譚」だってきちんと聞き取りをすべきだとすすめるのだ。
「お迎え現象は、臨終に近づくにつれて訪れる生理現象で説明できるが、幽霊は正常な意識を持ちながら、身体的にも異常がないのに発現する現象だ。それも個人史や宗教観は関係なしに出てくる。つまり脳循環の機能が低下したとか、そういう生理現象ではないということだ。おそらく、この社会が合理的ですべて予測可能だと思っていたのに、それが壊れたときに出てくるんじゃないか」
「つまりこの大震災のように、電気が消え、拠って立つ土地が流され、建物という建物が長割れて社会が壊滅したときに?」
「そうだよ。おそらく集合的無意識のように、人間の奥深いところに組み込まれたもので、強い恐怖が引き金になってあらわれるのだろう。人間が予測不可能な大自然の中で生きぬくための能力だったのかもしれない」(『魂でもいいから、そばにいて』14ページより)
「なんで?霊があったっていいじゃない。特殊な現象があったっていいだろ?今の科学はそれに対処してないんだから。科学は観察した領域の再現性で誇れても、そのへんの問題なんてわからんだろ。少なくとも『遠野物語』で書かれた男にとって、死んだ女房の霊に逢ったことは事実だよ」
「霊は科学で認識できないが、霊に遭遇した生者にとっては事実であると?」
「人間が持つ内的自然というか、集合的無意識の力を度外視してはいかんということだよ。それが人間の宗教性になり、文化文明を広げていったんじゃないかね」(同15〜16ページより)
そして作者は、岡部さんが語る石巻のおばあさんの話ーおじいちゃんの霊があそこで出たよという話を聞き、逢いたくて毎晩その場所に立っているーという話を聞いて、亡き人たちとの「再会」ともいえる物語の世界へ入っていくのだ。
これまで霊を見て怖がっているとばかり思っていたのに、家族や恋人といった大切な人の霊は怖いどころか、それと逢えることを望んでいる。この人たちにとって此岸と彼岸にはたいして差がないのだ。たとえ死者であっても、大切な人と再会できて怖いと思う人はいない。むしろ、深い悲しみの中で体験する亡き人との再会は、遺された人に安らぎや希望、そして喜びを与えてくれるのだろう。(同17ページより)
語られるお話はどれも、言うなればささやかなものだ。
それでも彼らは語ることを必要としている。いや、彼らがではない。物語自体が語られることを必要としているのだ。
作者は聞き取りをおこなう中で「やっと聞いてもらえてほっとしたわ」「家族でも信じてくれないんです」と何度となく言われたという。1時間だけと言われつつ、いざ会ってみると3〜4時間語り続けた方もいる。
語りたくとも語れなかったのである。なぜなら彼らの語る体験は、非科学的でいかがわしいと思われているから。(同114ページより)
事実、最初の1、2年はどうしてもしゃべれなかったと語り、3年過ぎ、4年目に入った頃からやっと話せるようになった人もいる。
(中略)しゃべっても『作り話でしょ』なんて言われるのが悔しいから誰にもしゃべらなかったんです。きっと経験しない人にはわからないと思いますよ。私だって、こんな体験がなければ、そんなことあるわけないでしょうと思いますからね。(同152ページより)
作者は一人の語り手に、最低でも3回は会うことにしたという。初対面でいきなりすべてをさらけ出せないだろうというのもあるが、繰り返し聞くことでその話が「真実」かどうかを見極めたかったという。
しかし聞くたびに、多くの人の話に微妙な変化が生まれていった。たとえば最初は「誰なんだろう?と思った」と言っていたところが、3回目には「すぐにお父さん(亡くなった人)だとわかった」と語るようになったというのだ。作者は、だからといって嘘をついているわけではないという。どちらも本人にとっては真実なのだと。不思議な物語は、他者に語ることで語り手が少しずつ変化を加えつつ、やがて自ら納得できる物語として完成するはずだ、と。
不思議な体験を「非科学的」と否定せず、悲しみを抱えた人の声に耳を傾ける優しさがあれば、遺された人は喜んで死者とともに生きることができるはずである。(同117ページより)
【3.11震災から4年】被災地で幽霊目撃談が多い本当の理由ートカナ
シリーズ東日本大震災 亡き人との再会 ~被災地 三度目の夏に~ - NHKスペシャル
さらに不思議なのは、まったく知らない人を“見た”体験談だ。
なかでも「タクシーの幽霊譚」は多く語られている。先に紹介した『震災後の不思議な話』にもいくつか載っているが、被災地のとある地区から乗せたお客さんが、津波で流され無人となった場所を行き先として指定し、途中ことごとく消えてしまうというものだ。
その「タクシーの幽霊譚」について、フィールドワークをおこなったものが『呼び覚まされる 霊性の震災学』のなかにまとめられている。「第1章 死者たちが通う街ータクシードライバーの幽霊現象」だ。石巻と気仙沼での調査を中心としている。
タクシードライバーの「幽霊体験」は「一般的な怪奇現象」と決定的に異なるポイントがあるという。「一般的な怪奇現象」は「幽霊の仕業としか考えられない」というように、体験した事柄について、いわば幽霊を用いてその現象を説明するものであるのに対し、タクシードライバーは直接「幽霊」と対話したり接触したりするものであるというのだ。
他の怪奇現象と比較してどこが特異なのか。それは、体験者がはっきりと、自らが体験した現象を幽霊現象と認知しており、また、その対象と対話をしていて、「見たかもしれない」「体験したかもしれない」「幽霊現象だったかもしれない」などというような不確かな現象ではないことである。これは、決してタクシードライバー以外の他の怪奇現象の存在を否定しているわけではなく、霊魂と思われる存在と間近で対話をしていたり、触れていたりするケースもあるという点で“特異”である。(『呼び覚まされる 霊性の震災学』8ページより)
しかもタクシーなので「証拠が残る」。実際に走るわけだから、メーターを切ったり、燃料が減っていたりする。無線で連絡を取り合ったりするし、GPSでの走行記録も残っていたりする。加えてそれぞれのドライバーたちは、ただ事ではない体験を、夢や勘違いではないことを確認するためしっかりと書類やメモを残していたという。
なぜタクシーなのか?
筆者は「タクシードライバーたちは亡くなった人たちの意思伝達の媒体となった可能性が高い」という。昼夜問わず街中を走っていて誰でも簡単に利用できる。何より個室という空間はドライバー以外の目には留まらない。そういう点で都合が良かったのではないか、と。
人と人、人と場所、人と(場所を超えた)物とをつなぐ重要な有機的な役割を、地元石巻で担っている。タクシーに乗りあの人に会いに行く。タクシーに乗りあの場所へ行く。タクシーに乗りおいしいものを食べに行く。それにくわえてタクシードライバーたちの幽霊現象は、日常の延長線上で人(ドライバー自身)と霊魂をつないでいるのである。(同14ページより)
地元のタクシードライバーは、地元に対する愛着が強い。地元は仕事場そのもの、自分や家族が生活し、親類が多く暮らす土地でもある。震災で身内や知り合いを亡くした経験者も少なくない。まして石巻は“内は内で”の感覚が強く、地元愛が大きい土地柄であるという。
身内でも友人でもない「まったく知らない人を“見た”体験談」は不思議だと書いたが、こうした地元に対する愛着を考えれば腑に落ちる。石巻にはもともと“存在”を受け止める素地ができあがっていたのだ。
そればかりか「幽霊」に対して“畏敬”の念すら感じさせる言葉があったという。
「そういう体験をした直後は怖くてたまらなくて、誰かに話したい思いでいっぱいだったけど、今は心にしまっておくと決めているんだ。ベラベラと人に話したら、普通はなかなか信じられないような体験話だし、嘘だと言われて彼ら〔霊魂〕の存在を否定されてしまうかもしれない。そうしたら、なんの悪気もない彼らを傷つけてしまうかもしれないし、きっと彼らの出現の価値も下がってしまうだろう。匿名にしてもらえたら、この体験は私のなかで静かに大切にしまっていられるよ」(14・9・27 N・Tさん)。(同17ページより)
ほかにも調査の際、筆者が“幽霊”と呼んだときに「そんなふうに言うんじゃない!」と怒鳴るドライバーも数人いたという。前述した、身内の「幽霊談」を「語りたくとも語れなかった」とつながる話でもある。彼らの“存在”を「幽霊」ということばに押し込めてほしくない、“存在”として現れた彼らの念を受け止めてやりたいという、強い思いを感じることができる。
「サードマン現象」を体験したシャクルトンも、のちにハロルド・ベグビーとの対話で「四人目の存在」についてこんなことを語っている。
「いや。われわれの誰もそのことについて話したくはありません。この世には言葉ではあらわせないものがあります。ほのめかすだけでも、神聖をけがすおそれのあるものが。あの経験はまさにそういったものなのです。」(『奇跡の生還へ導く人』49ページより)
言葉を尽くしても語れないこと。それでも語られなければならないこと。
「ゆうれいをみる方法」は無くても「みた人の話を聞く」ことはできる。
『魂でもいいから、そばにいて』を書いた奥野さんは言う。
人は物語を生きる動物である。
どんなに不思議な話であっても、話す人の語るままが「真実」なのだ。それを素直に受け止めるのはなんと難しいことか。私自身、これらの本を読むまで“幽霊”というだけで、拒絶する心があったのは否めない。どんな話であってもまず、私たちは耳を傾ける必要があるのだ。
「ゆうれいというのは、ぼくたちにとってものすごくたいせつなものかもしれない」
のだから。
実は私もというか、夫が不思議な体験をしている。
10年くらい前、同じ山岳会に所属していた先輩が山で亡くなったのだが、その慰霊登山の際、ビールを持って上がったところ、持って下りてきたときには空になっていたというものだ。
缶をためつすがめつしても、穴が開いているようすはない。途中漏れてしまってたなら荷物が汚れるはずだが濡れたものも見当たらない。はじめから空っぽであったならそれとわかるはずだ。夫は故人が飲んだとしか考えられないという。
大したことない話だし、故人とつながる人が周囲にいないのもあり、これまで人に話したことはない。なんか絶対原因があるんじゃないの?とか言われそうなのもある。だから「否定されたくない」「話したくても話せない」というのがちょっとわかる。
その缶はいまでも家にある。たまに穴を探してみたりするけど……やっぱり見つからないのだ。私自身は数えるくらいしかお会いしていないけれど、強烈な個性の方だったので、故人が飲み干すというのもあり得る話かなと思うところもある。
こうして思い出すことも供養といえるのかもしれない。