こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

イルカの島(第202号)

八丈島の行きか帰りかの航路にて。

御蔵島には接岸できませんので通過しま〜す。

と船内アナウンスが聞こえてきた。

え?え?え?そんなことがあり得るの?

離島航路は気象条件によって欠航することもある。その場合そもそも船が出ない。船は来たのに通過しちゃうとかあるんだ!

『イルカの島』の舞台は、この御蔵島

周囲16.4キロメートルの小さな島は、イルカウォッチングの名所なのだ。

しかし、最初から「イルカウォッチングの名所」だったわけではない。

1992年、著者が初めて訪ねたときは、観光客はおろか、宿泊施設すら存在しなかった。しつこく交渉してやっと泊まらせてくれるところが見つかるような有様だった。

島の人にとって、イルカはその辺にある石ころと同じ。その“石ころ”を見にわざわざやってきた宇津さんは、さぞかし酔狂な男だと思われたことだろう。「はぁー、東京がらぁ?鳥っこさ見にぃ?」と通じるものがある。「イルカ男」とすら呼ばれていたらしい。

とくに大事にするのでもなく、とって食べるのでもなく、じゃまにするのでもなく、「ただ、すぐそこにいる」だけだったのです。(本号「作者のことば」より)

イルカの島から 第1回 「イルカは玉石? 92御蔵 その1」

日本でもイルカを食べる地域があるなか、食べるという選択肢がなかったのが不思議なくらいだ。危険をおかしてまで獲る理由がなかったのかもしれない。定期船が接岸できないくらいだから漁に出られる日だって限られる。黒潮のおかげで魚はたくさんいるのだから、捕りやすい魚をさっさか獲る方がいい。数十年前までは冬の食料にオオミズナギドリを獲っていたという。どんな味だったんだろう?

 

本号の写真は、ほとんどすべてが海中で撮影されたもの。

どのシーンも、イルカたちが目の前に迫ってくるような臨場感にあふれている。

居ながらにして、一緒に泳いでイルカウォッチングをしている気分になれるのだ。しかも、著者が何回も潜って撮影したとっておきの場面が満載だ。

親子で睦まじく泳ぐ様子、泳ぎながらお乳を飲む子イルカ、ビニールゴミを背びれに引っ掛けて遊ぶさま。若オス同士の交尾ごっこや、若メスが子育ての練習を兼ねて子守りをする様子なども紹介されている。

 

本号裏表紙奥付には「この本に登場したイルカたちの近況」について報告が寄せられている。「御蔵島ハンドウイルカ研究会」によるものだ。著者の宇津さんは1994年から5年間、この研究会に参加してイルカの調査に加わっている。

この本を読んで御蔵島のイルカが好きになった人は、いつかイルカが島のまわりの海にすむ御蔵島へ来てください。そのときにはぜひ御蔵島の宿に泊まって、昔からイルカのいる海を大切にしてきた島の人たちの暮らしや、イルカと同じように大切にされている森の木や鳥たちの姿もぜひ見ていってください。そして海でイルカに会ったら、けっして触ろうとせず、イルカの暮らしをよく見るようにしてほしいと思います。

イルカの暮らしをよく見るようにしてほしいと思います。

観光ウォッチングでは、観察より、イルカと触れ合う方に主眼が置かれがちだ。宇津さん自身、このようなイルカウォッチングの“ブーム”について、早くから危機感を覚えていたようだ。

イルカの島から "イルカは玉石"その後(93御蔵)~その5 夏の終わりに

 

奇しくも今日の朝刊では、「ふしぎ」でもお馴染みの水口さん*1が、安易な形でのホエールウォッチングに警鐘を鳴らしている。

(私の視点)ホエールウォッチング 生態妨げない観察ルールを 水口博也:朝日新聞デジタル

北米でのホエールウォッチングは、接近する船が鯨類の生態に大きな影響を与えないように厳しいルールが設けられている。このルールのおかげで観光産業の持続がはかられ、対象となる鯨類も個体数を回復しているという。

一方日本においては、多くの地域で実質上ルールがなく、かなり接近してのツアーが行われているようだ。以前私たちも小笠原でドルフィンスイムに参加したが(『カタツムリ 小笠原へ(第366号)』参照)、小笠原においては北米に匹敵する自主観察ルールが設けられている。

ウォッチングルール | 小笠原ホエールウォッチング協会

しかし、ドルフィンスイム・ホエールスイムは、厳しいウォッチングルールを設けている国や地域で、禁止または反対の立場が取られているという。観察者の接近で、クジラやイルカの授乳時間や休息時間が奪われ、ひいては繁殖率に影響を及ぼす事例が報告されているからだ。観察者との接触事故も問題となっている。

ホエールウォッチングはエコツアーとしての役割も担っている。たとえば毎年1〜4月に小笠原や沖縄に来遊するザトウクジラ。彼らは出産と子育てのためにやってくる。私たちはその様子をのぞかせてもらっているに過ぎない。そのエコツアー自体が悪影響を与えてしまっては本末転倒だ。水口さんはエコツアーの健全な発達を願い、日本でもしっかりとしたルールづくりが必要なことを提言されている。

https://www.ows-npo.org/media/backno/tokushu68forWeb.pdf

著者の宇津さんは、2003年惜しくも亡くなられている。41歳の若さだった。

この号が出版された1年後の年だ。