『サメは、ぼくのあこがれ』をパラパラ眺めてた夫が、
ーあ〜これ、さかなクンが言ってたヤツじゃん。
サメに近いなかまに、エイがいます。
えらのあなが体の横にあるのがサメ、下にあるのがエイです。
先日私たちは「エイ」 - ギョギョッとサカナ★スター - NHKを見たのだ。その中で、さかなクンがエイとサメの違いを解説していた。さかなクンの番組のメインはエイの方だけど。
また、サメの頭と鼻のあいだには、ロレンチニ器官という、他の動物にはない感覚器官があります。
あ、ロレンチニ器官!聞いたことある〜。『釣って 食べて 調べる 深海魚(第436号)』で。
冒頭、こんな感じでサメについての基本知識が紹介される。
サメは地球上の生きものの中では古株で、4億年前くらいにはすでにいたという。おまけに当時からその形態はほとんど変化していないと言われている。
そのため、サメは「完璧な生き物」とよばれることもあります。
水中カメラマンを生業とする作者は、よく「サメは怖くないのか」と聞かれることがあるという。
どう答えたらいいでしょう。一言では答えられません。
その一言で答えられないアンサーが、この絵本そのものなのだ。
ダイバーになったばかりの頃、作者は海底で一匹のサメを発見する。
ぼくは岸にむかい、全力でにげだしました。
しかし後から振り返ると、それはネコザメだったことに気づくのだ。ネコザメは人を襲うことはない。水族館などのタッチプールで触れ合い展示されるくらい、おとなしいサメだ。
水族館でそれ(ネコザメ)とわかって触れ合うのと、慣れない海中でなんだかわからないサメを発見するのとでは話が別だ。
その後、何百回も撮影することになったネコザメの愛嬌ある顔を見るたびに、あの日ひっしでにげたことを思いだして、海底でひとりでわらってしまいます。
この絵本の魅力は、単にサメを紹介するだけでなく、作者がサメと出会ったときの様子が生き生きと描かれていることだ。その時の気持ちもたっぷり盛り込まれている。
こんな出会いがあるのか!とか、これは怖かっただろうな〜とか。生きものの撮影は一期一会なのだ。そんな妙を味わうことができる。とくにジンベエザメとの“会話”は、本当に通じ合えてるようで不思議な気持ちになる。
これまで何度となく海に潜り、サメ撮影経験も数多くこなしている作者。それでもやはり、
海は水族館とはちがいます。人間が管理している安全な場所ではありません。きけんなことがたくさんあります。
という思い、サメに対する恐れを持ち続けている。
それでも「作者のことば」では、
僕もサメがこわくないわけではないですが、ただこわい海のギャングのようなイメージを持たれると残念です。僕のあこがれの生物、サメのことが少しでも伝わればうれしいです。これからもサメとの出会いを、ドキドキしながら楽しみにしています。
と書いている。そして、
この本の中で、自分が感動したことを伝えようと努力しましたが、やはりみなさんの目でじっさいに見ることにはかないません。いつか見に行ってください。
とも言っている。
調べてみると、シャークダイブというアクティヴィティを実施してるところもあるようだ。いやはやドルフィンスイムにホエールスイム、おまけにシャークダイブですか……。たしかに水族館のサメとはぜんぜん違うんだろうなあ。野生での観察は、飼育下のそれとは比べものにならないくらいの魅力がある。我々もバードウォッチングで経験済みだ。
作者はこれまで6冊の「ふしぎ」を手がけている。
- 『海は大きな玉手箱(第101号)』
- 『ウミガメは広い海をゆく(第174号)』
- 『この子 なんの子? 魚の子(第294号)』
- 『ヒトスジギンポ 笑う魚(第328号)』
- 『サメは、ぼくのあこがれ(第354号)』
- 『海のかたち ぼくの見たプランクトン(第391号)』
だ。しかし、野村哲也氏と同じく、どれも傑作集として出されていない。
その事情はわからないが、もしかしたら「たくさんのふしぎ」の、月刊誌としてのフレッシュさを大事にしたいのかもしれない。その時その時の気持ちを今、伝えることに注力したいのかもしれない。
これまで読んだ5冊を思い返してみても、まだまだ撮るよ、これで終わりじゃないんだよという感じが伝わってくる。その途中経過を紹介してるだけだよと。
吉野さんはこれからまた、どんな「海」を紹介してくれるんだろうとわくわくする。